私達と共に

2020年12月25日、クリスマスの日の夕方

マタイ1:23
『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。』 この吊は、『神は我々と共におられる』という意味である。

メリークリスマス!どうしてクリスマスが楽しいでしょうか。それは、イエス様が私達と共にいるからです。

この一年間は、もっとも楽しい一年ではありませんでした。普通の天災と悲劇と争いと圧迫と罪の上に、多くの人を殺した新コロナヴィラス、コウィド19です。三つの表現をよく聞きます:手を洗う事、マスクを付ける事、ソシエル・ディスタンスを守る事です。教会の中でもそれをします。それで、歌う時にもマスクを付けますし、他の人から離れて座ります。又、この疫病の終わりの為に祈ります。自分の家族や教会の会員の皆さんの健康と安全の為に祈ります。イエス様が私達と共にいるように祈ります。

マタイによるクリスマスの福音書の言葉が言います、「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。』 この吊は、『神は我々と共におられる』という意味である。《手の洗い、マスクを付け、ソシエル・ディスタンスを守る今の時、私達の近くなる為にイエス様は来られます。イエス様にはソシエル・ディスタンスがありません。イエス様は子供として来られたので、小さい子供達でも分かるのは、イエス様は彼らと共にいる事です。イエス様はその子供を愛して、平和と喜びを与えます。赤ちゃんとしてこられますので、母と父たちが分かるのは、自分の子供を育てながら、イエス様が彼らと共にいる事です。まだ結婚していなくても母と父になる人々は、マリアとヨセフを見て、分かるのは、彼らにも神様の愛が共にある事です。イエス様は馬小屋で生まれたので、家がないや家族がない人々と共にもいます。

大人になったイエス様は、貧しい人や罪人や社会的に捨てられた人々と共にいました。言われた正しい人々は、そのような人々からソシエル・ディスタンスをかけたいと思いました。それは病気の為にではなくて、宗教的な清めの為と思いました。しかしイエス様はそのような人々の所にも来られました。病気の人に手を触れました、らい病人にも手を掛けてその人を癒してくださいました。目が見えない人の目に触って、見えるようにしました。すべての人々に神の国の良い知らせを述べ伝えました。それで皆が神様の愛と救いが分かりました。クリスマスの時に私達に分かるのは、今も、イエス様は貧しい人や、孤独の人や、社会的に捨てられた人や、罪人の所にも来られる事です。今晩、愛と救いのメッセジーを持って私達の所に来られます。

イエス様が地上で働く時、非難されました。それは、イエス様が罪人と共に話したり、食べたり、飲んだり、交わりをしたりするからです。二人の罪人の間で十字架に付けられました。生きる時にも死ぬ時にも、イエス様はソシエル・ディスタンスを守りませんでした。同じように、罪人である私達が罪を犯す時にも、イエス様は私達と共にいます。そうです。私達が罪を犯しても、イエス様は私達を捨てません。私達と共にいます。その為に生まれました。その為に御自分の上に世の罪を取って、それを赦して下さいました。

『神は我々と共におられる』という意味である『インマヌエル』は、子供のキリストの為に綺麗な吊前です。イエス様はいつも私達の所に共にいますが、特に今晩はそうです。礼拝をして、イエス様の誕生をお祝いします。

アーメン。

どうか、クリスマスの平和と喜びが、今もいつまでも、あなたと共にありますように。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


説教のリスト

Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


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