「いつこれらのことが起こりますか?」「今です。」

2015年11月15日

マルコ13:1−13
13:1 イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」 13:2 イエスは言われた。「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない。」
13:3 イエスがオリーブ山で神殿の方を向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。 13:4 「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、そのことがすべて実現するときには、どんな徴があるのですか。」 13:5 イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 13:6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 13:7 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 13:8 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである。
13:9 あなたがたは自分のことに気をつけていなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で打ちたたかれる。また、わたしのために総督や王の前に立たされて、証しをすることになる。 13:10 しかし、まず、福音があらゆる民に宣べ伝えられねばならない。 13:11 引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと取り越し苦労をしてはならない。そのときには、教えられることを話せばよい。実は、話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。 13:12 兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。 13:13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」


観光旅行は好きですか。私は歴史的な場所が好きです。 沖縄には沢山のお城の遺跡(いせき)があります。首里城は再建され、とてもきれいな琉球王朝(おうちょう)の博物館です。古い遺跡を再建すべきか、またはそのままにしておいたほうが良いでしょうか。再建して人々が歴史や文化について学べるというのは良い事でしょう。旅行者達はその遺跡を訪ね その過去の歴史を誇りに思うでしょう。しかし遺跡をそのまま残しておいて 人間のおごりと愚(おろ)かさの結果を見る事もさらに良い勉強になるかもしれません。

     イエス様の弟子達はエルサレムを訪ねていました。沢山の美しい宮殿(きゅうでん)やほかの施設がありました。神殿は白い大理石(だいりせき)と金で出来ていました。弟子の一人がイエス様に言いました。「先生、ご覧ください。なんと素晴らしい石、なんと素晴らしい建物でしょう。」イエス様は答えました、「これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩(くず)れずに他の石の上に残ることはない。」そして紀元70年、ローマの軍隊がエルサレムに入りその神殿を完全に破壊(はかい)してしまいました。たった一箇所(かしょ)の壁だけを残しました。今 知られている「嘆きの壁」のみを残しました。

     弟子達はイエス様の言葉を信じましたが彼らは尋ねました。「おしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。又、そのことがすべて実現する時には、どんな徴(しるし)があるのですか。」イエス様は日時(にちじ)を言われませんでしたが、徴を下さいました。たとえば、偽者のメシヤ、戦争や戦争のうわさ、地震、迫害、裏切り、信仰の告白と信仰者の忍耐など。弟子達の生きていた時代に、その徴が全部もうすでに実現しました。

     私達の時代にもこれらの徴を見る事が出来ます。

弟子達のように、私達も現代の社会に素晴らしく美しい建物を沢山見ます。それらの建物を誇りに思います。しかしこれらの建物は永遠まで残るでしょうか。 この私たちが誇りに思っているものは明日には廃墟(はいきょ)になってしまわないでしょうか。 私たちの家族はどうでしょうか。私たちが誇りに思っていることは永遠に残るでしょうか。神様の御前に最後まで残るでしょうか。私たちには神様から与えられたいろいろな才能やタラントがあります。しかし艱難(かんなん)の時には 何が起こるでしょうか。問題や心配ごと、自然(しぜん)災害(さいがい)など。私たちの信仰の故(ゆえ)に悪い事が起こったら どうでしょうか。良い証が出来るでしょうか。聖霊に信頼して語るべき言葉をいただけるでしょうか。最後まで忍耐して救われることが出来るでしょうか。または、私たちの人生もあのふるい宮殿のように廃墟(はいきょ)になってしまうでしょうか。

     イエス様は終わりが近いのを知っておられました。御自分がもうすぐ逮捕されて、裁判にかけられ、十字架にかけられるのを知っていました。人間として、痛みと辱(はずかし)めを受ける事を知っていました。またそれが神様のご計画であることも知っていました。イエス様の体である神殿が十字架の上で死ぬことによって破壊(はかい)される事も、しかし死の廃墟(はいきょ)として とどまらない事も知っておられました。三日目に死から甦ることを知りました。エルサレムの古い神殿が もはや必要が無いこと、なぜならイエス様がすべての時代のすべての罪を赦すために完全な犠牲としてささげられたからです。

     イエス様の十字架は単なる観光スポットではありません。たんなるキリスト教の歴史と文化を観察(かんさつ)する場所ではありません。イエス様の十字架に人間のおごりの結果、愚(おろ)かさ、と罪を見ます。十字架の中に私たちの自己中心的な人生の廃墟(はいきょ)を見ます。十字架を見ると、世の終わりが近いことを見ます。しかし十字架は復活を指し示してくれます。イエス様の復活は過去をしるす博物館ではなく、キリストを信じる私たちのための今の人生の道しるべです。教会は博物館ではなく、むしろキリスト・イエスを信じ、活動するための建物です。聖霊はこの世代に語るべき福音を私たちに下さいました。ここにあるのは警告の言葉、希望の言葉、約束の言葉、愛の言葉です。

     この時代、私たちの人生には偽預言者の脅威(きょうい)があり、戦争や戦争のうわさ、地震、飢饉、裏切りと迫害があります。家庭や職場、学校には問題があります。これらの問題は私たちの信仰への挑戦(ちょうせん)です。しかし洗礼によって、聖霊は勇気と信仰による忍耐と、信仰の証をする力の賜物を下さいました。

「いつこれらのことが起こりますか?」主の祈りで祈ります、「み国を来たらせたまえ。」神様が私達の心や私達の人生の王様になりますように祈ります。教会の宣教の為に祈ります。恵みの国が多くの人に述べ伝えるように祈ります。又、天国の栄光の国を待ち望みます。世の終わりが明日でしょうか、今から500年先でしょうか、それとも、個人的に、私達が死ぬ時に来るでしょう。未来は神様の御手にあります。ですから、心配と恐れなしに生きる事が出来ます。何故ならば、私達は神様の約束と救いを知るからです。

それで、ダニエル12章の預言は、私達クリスチャンの為に、慰め、希望と喜びのメッセージになります。天使ミカエルについての預言は、イエス・キリストによって、その救いの働きによって完全に成就されています。
12:1 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護(しゅご)する。その時まで、苦難(くなん)が続く/国が始まって以来、かつて なかったほどの 苦難(くなん)が。しかし、その時には救われる であろう/お前の民、あの書に記された人々は。
12:2 多くの者が地の塵(ちり)の中の眠りから目覚(めざ)める。ある者は永遠の生命に入り/ある者は永久に続く恥と憎悪(ぞうお)の的となる。
12:3 目覚めた人々は大空(おおぞら)の光のように輝き/多くの者の救いとなった人々は/とこしえに星と輝く。
アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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