イエス様と共に歩く

復活後第2主日、2008年4月6日
ルカ24:13−35

12弟子以外にも、多くの人々がイエス様に従いました。その中の2人は、エルサレムから11キロ離れたエマオまで歩きました。最初のイースターの午後でした。二人は「暗い顔」をしていました。失望していたので、淋しかったです。イエス様が、イスラエルの国を解放(かいほう)するメサイアだと希望したからです。彼らは政治的な事を考えました。イエス様がイスラエルの国を支配していたローマ人を追い出して下さると希望したのです。しかし、イエス様が十字架で死刑にされました。彼らは失望して、がっかりして、淋しくて、エルサレムを出てエマオに向かって歩きました。エルサレムは神様の都です。神様はご自分の民をエルサレムで救い出すからです。それで、彼らがエルサレムから出る事は、希望を失った事のしるしです。

現代の人々が神様に対する希望を失う事を表すシンボルでもあります。人々は教会に行ったことがあり、イエス様についてちょっと聞いた事がありますが、神様の都から出て行きました。彼らが向かって行くエマオには、さまざまな名前があります。その名前とは、いろいろの中毒、遊び、お金、ものに対する執着、うつ病などなど。しかし、全は神様から離れて行きます。

イエス様はその二人の弟子と道で会う時、彼らはイエス様にきずきませんでした。神様によって「目はさえぎられていました」(24:16)。イエス様はご自分の事にまだきずいてもらいたくありませんでした。しかし、ここの大きな問題とは、彼らがイエス様は本当にどなたであるかという事が分かっていないということです。それで、イエス様は彼らが「りがく、心がい」者であると言われます。そして、イエス様は彼らに、メシアについて旧約聖書を説明しました。勿論、彼らは、旧約聖書のメシアの預言について知っていましたが、彼らがきづいていなかったことについて説明されました。それはメシアが苦しみを受ける事が必要である事です;「苦しみを受けて、栄光に入るはずだった」(26)事です。

現代の旅人、エルサレムから離れて行く旅人には、同じ問題があります。私達の心が目隠しされているので、イエス様を見る事が出来ません。私達は、自分の苦しみを全部取ってしまって下さる救い主が欲しいと思います。私たちが理解していないのは、苦しむメシアが必要である事です。私達が苦しむので、私達と共に、私達の代わりに苦しんで下さるキリストが要ります。そして、イエス様がそのような救い主であると理解しなければ、私達はエルサレムから離れて歩いて出て行きます。救いの都から出て行きます。救いの都から出て行く道は、行き止まりの道です。イエス様と命の復活は、エルサレムにあります。

イエス様は、その二人の弟子の事をあきらめませんでした。「イエス様ご自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」のです(15)。忍耐深くて、「聖書全体にわたり、御自分について書かれている事を説明された」のです(27)。どうしてメシアが苦しみを受けて死ななければならないか説明して下さいました。そして、二人の弟子は真理が分かってきました。

私達が間違っている方向に向かって行く時、イエス様は私達のところにも来られます。神様の愛の福音やどうして私達の為に苦しみを受けて死ぬ必要が有るかを丁寧に、忍耐強く説明されます。彼こそは、イスラエルを解放して下さる方です。イスラエルの国を自由にする方です。この世を救うお方です。イエス様がピラトに話したように(ヨハネ 18:36) 、御自分の国はこの世のものではないので、これは政治的な解放ではありません。イエス様の国は全世界です。彼の死と復活は、私達をサタンや罪から解放して下さいます。

最後に、その二人の弟子は真理が分かりました。パンを祝福して裂く事によって彼らはイエス様を知りました。大喜びを持って、エマオでの用事を忘れて、エルサレムに走って帰りました。信仰があったので、イエス様が分かりました。

私達にも信仰があるので、私達もイエス様がどなたであるか分かります。

彼らは神様の都に帰りました。十字架と復活の場所に帰りました。そして、イエス様は彼らにその偉大なる宣教の命令を下さいました、即ち、エルサレムから出て全世界に福音を述べ伝える事です。宣教師や使徒として、道を歩く人と出会って、その人を神様の都に導きました。

今日、私達もその場所にいます。聖餐式でパンを祝福して裂く事によって、私達はイエス様にきずきます。そして私達も出て行って福音を述べ伝えます。神様の所から離れて歩く人と一緒に歩いて、神様の都に導きます。キリストが死んで甦った事が必要であったと伝えます。どうしてイエス様が死んで復活したか伝えます。それは、イエス様が私達を愛して下さるからですし、私達の罪を赦す為に苦しみを受ける救い主が必要であるからです。そして、イエス様の苦しみ、死、復活の中で、私達は自分の救い主を知ります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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