聖なる三位一体:講義と説教

三位一体主日 2018年5月27日

今日は三位一体主日です。「三位一体」と言うことの意味について話しましょう、まず、講義{こうぎ}のように話して、それから説教です。言い換えますと、まず三位一体を教会の教義として、教会の教えとして話して、それから、私達の毎日の人生にとっての意味を考えましょう。

「三位一体」と言う言葉の意味とは、3つのものが一つのものになることです。3つですが、同時に、ただ一つです。神様はただ一つですが、三つの位格(いかく)があります:父、子、聖霊です。三つの神がいません。聖書は言います、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」(申命記6:4、マルコ12:29)。ですから、父は神であり、子も神であり、聖霊も神でありますが、聖書が教えるのは、神はただお一人です。これを論理的に数学的に理解する事が出来ません。 1 + 1 + 1 = 1. ですから、けんそんをもって、三位一体は、人間が理解する事が出来ない神秘であると分かります。そのようにして、私達は、主なる神様の栄光を拝みます。

三位一体の三つの位格を父、子と聖霊と呼びます。また彼らの働きによって呼びます:創造主と、救い主である贖い主と、私達を清く神聖にしてくださる清め主なる聖霊です。聖なる三位一体の第2番目の位格はイエス・キリストです。聖書の中では、イエス様は、神様としても、人間としても表されています、誠の神で、誠の人です。これは、三位一体の教義の中で、理解すべき一番大切な点です。ですから、キリスト教会はこの教えをいつも強調します。私達の救いの為に、イエス・キリストが同時に、神と人の両方である事が必要です。ベツレヘムで生まれた時、神の性質を捨てませんでしたし、復活した時、人間の性質を捨てませんでした。この教会の教義は、“Christology、キリストロジー と呼ばれます。このChristology が大切なのは、私達の救いの為に、イエス・キリストは同時に神であり人間でなければならないことです。十字架上で死ぬ為に、人間になる事が必要でしたし、世のすべての罪をご自分の上に取る為に神である事が必要でした。ただの人間は死ぬ事が出来ますが、ただ死ぬ事でます。別の人の罪の罰を取ってその人の変わりに死ぬ事が出来るでしょう。しかし、全世界の人間の罪、人間が最初にこの地上を歩き始めた時から、栄光を持ってキリストが戻る時までのすべての人の罪をご自分の上に取る為に、キリストが神である事は必要でした。それで、キリストは罪の為の完全な犠牲として死んで、永遠の救いをすべての信者たちに与える為に3日目に甦りました。ですから、これがイエス様が神である事の必要性です。

もし私達が三位一体を知らなければ、父なる神様しか知らなければ、神様の怒りしか知りません。私達の罪や反抗{はんこう}に対して、神様は今も私たちに正義を要求{ようきゅう}します。私達は完璧に完全に神の律法を守る事が出来ないので、誰も義とされず、誰にも永遠の命の希望がありません。しかし、キリストによって、神の愛が現されています。イエス様は神の愛、哀{あわ}れみと恵みについて教えました。私達を救う為に、十字架上で死ぬ事によって、その愛を表して下さいました。しかし、聖霊なる神様の働きなしに、私達はイエス・キリストによる神の愛を知る事が出来ません。聖霊は私達にキリストを表して下さいますしキリストは父なる神を表してくださいます。聖書の御言葉や聖礼典によって聖霊は私達に福音を教えます。ですから、聖霊は私達にキリストを教えますと同時にキリストは私達に父なる神様を教えます。

どうしてこれが大切でしょうか。どうして三位一体の教義が私達の毎日の人生のために大切でしょうか。まず、私達は三位一体の御名によって祈るからです。神様の名前とは、父と子と聖霊です。神様は全能です。私達は弱い神に祈りません。私達が自分の人生をメチャメチャにしても、私達を新しい創造物にする事が出来る神に祈ります。この世の問題とストレスと心配が私達を追いかけるような時があっても、私達を救う事が出来る神に祈ります。罪が私達を追いかけるような時があっても、私達を赦して、私達を清くする事が出来る神に祈ります。

三位一体が大切であるのは、私達は父と子と聖霊の御名によって洗礼を受けたからです。洗礼によって、私達が神様の家族の一人となって、その家族の名前、神様の名前を受けました。それで例えば、私の名前は、マイケル・ニアフッド・三位一体です。私は神の子供です、そして、父なる神はよい父親のように、私を大事にしてくださいます。 キリストは良い羊飼いのように、私を大事にしてくださいます、又、聖霊は、慰め主や弁護者と呼ばれたように、私を大事にしてくださいます。そして、神の家族の名前を持ってクリスチャンとして、人生において、その素晴らしい名前を尊敬{そんけい}します。私がクリスチャンと呼ばれましたら、プライドを持ちます。その素晴らしい家族の名前に恥ずかしめる事をしたくありません。ですから、クリスチャンとして、神様の規定を守りたいのは、神からの罰を恐れるからよりも、神様を愛して、自分の振舞いによって神様に恥や悲しみをかけたくないからです。

三位一体が大切であるのは、私達の事を含むからです。神様は、ただ、遠く離れて宇宙のどこかにいる訳ではなくて、神様は私達のそばに折られます。私達の人生の中で働いてくださいます。私達を創造して、私達を救う為に十字架上で死んで下さいまして、私達の心の中に信仰を造って、ご自分の御前で私達を聖なる者にして下さいます。三位一体は私達の人生の一部です、私達の存在の一部です。三位一体は私達がだれでるか教えます。私達は神の子供です。ですから、今日の教会の記念日は、私たちにプライドを持たせるものです。

アーメン。

父、御子、聖霊の恵みと平和が皆さんの上にありますように。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会