神の愛、憐れみ、忍耐

三位一体主日、2010年5月30日

三位一体の神についての講義をしたくありません。私達の神を礼拝して、神様の救い、啓示、神秘、素晴らしさと、偉大さをお祝いしたいと思います。

日曜日の礼拝の始まりで、その三位一体の神様の名前を唱えます。「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。」と。これは私達が礼拝する神様です。この表現は神様の電話番号やイメールの住所やパスワードなどではありません。それを言うと神様の恵みと愛への入り口ではありません。この言葉は、私達が洗礼を受ける時に私達を祝福する言葉です。ですから、この言葉を聞くたびに、自分の洗礼を思い起こすべきです。洗礼によって私達は神様の子供になります。私達の罪が赦されています。私達は神様に約束をしますと神様が私達と約束をします。救いの約束です。神様の力、即ち、創造と贖いと聖化の力が私達の上に注がれています。それは、私達の心と人生を満たす神様の完全な祝福です。

神様は神秘です。私達の人間の頭や人間の心で、神様を完全に理解する事が出来ません。しかし一番大きい神秘とは、神様の科学ではありません。即ち、どうやって神様が永遠の方であるでしょうか?天国はどこですか?どうやって神様がすべての所に存在している事が出来るでしょうか。又、その大きい神秘は神様の数学でもありません。1+1+1=1.  私は神様の怒りを理解します。完全な世界をお造りになりましたが、私達人間がそれをメチャメチャにしました。私達はアダムとエバにすべての有罪の責任を置く事が出来ません。それは私達も、自分で同じような罪を犯すからです。又大洪水のように、この世界を滅ぼし、世界を作りなおす神様の気持ちが分かります。神様に対する一番大きい神秘とは、神様の愛、憐れみと忍耐だと思います。

その神秘を見るのは、私個人に対してその愛、憐れみと忍耐を感じる時です。私は自分の罪が分かります。自分の弱さが分かります。神様は自分を愛する事を考えますと、謙虚な気持ちになります。神様が私のことを忍耐してくださっていると恥ずかしくなります。大体のクリスチャン達はこのような気持ちを経験した事があるでしょう。幾つかの賛美歌と聖歌がこの神秘を歌いますので、その歌が多くの人々に愛されています。例えば、“Amazing Grace”がそうです。

おどろくばかりの 恵みなりき
このみのけがれを しれるわれに
それは、罪人に対する神様の忍耐です。理解する事が出来ません。又、「聖なる聖なる聖なるかな」と言う賛美歌あります。神様の御前に立ち、その栄光を見る事が赦されている特権(とっけん)への恐れです。天使の聖歌隊と共に歌います。

神様は神秘ですが、御自分を私達に啓示されました。イエス・キリストによって御自分を表して下さいました。御自分の愛、憐れみと忍耐を表されました。イエス様によって私達は神様の愛を見ます。神の国の福音を述べ伝えたり、人を癒したり、十字架上で死んだり、甦ったりする事の中にその愛を見ます。この愛は私達が洗礼を受けた時に、私達の上に注がれています。神様の約束です。即ち、御自分の尊い子供を、天国の家に連れて行くという約束です。罪の赦しです。生まれ変わりです。神様の忍耐です。即ち、私達が罪を犯したり、迷い出たり、神様の御名を汚したりしますが、神様が私達にたいして忍耐しておられます。御自分の憐れみによって、愛と約束が繰り返し、繰り返し表されています。

どのように聖なる三位一体の神様をお祝いしましょうか。花火?ご馳走?パレード?自分の笑顔と心の歌?

今日、三位一体主日のお祝いする方法の一つを勧めます。それは、神様の神秘を憶えて、その神秘を自分の人生の一部にする事です。即ち、私の考えですが、キリスト信者達自身が神秘的な者になる事です。それで、他の人が理解する事が出来ない何かがクリスチャン達の人生にはあるはずです。キリスト信者でない人には、キリスト信者のことが分からないはずです。先に言いましたが、神様に対する一番大きい神秘とは、神様の愛、憐れみと忍耐であるという事です。もし、キリスト信者が、その同じ愛、憐れみと忍耐を他の人に表しましたら、他の人が理解する事が出来ないでしょう。それは普通の生き方と振舞いではないからです。愛は実に自己中心的な物のように、憐れみは弱さのように、忍耐が決断力のない事や罪を認める事のように見えます。

 クリスチャンは神秘のようになるべきと言うとき、クリスチャンが変人(へんじん)、奇人(きじん)、不合理(ふごうり)な者になりなさいと言っていません。それはただ変な事です。意味するのは、クリスチャンがノンクリスチャンと違うべきです。私達の足はしっかり地面についていますが、心は天に向かっています。天は私達の心の中にあります。私達は神様の子供達として道を歩きます。聖なる三位一体や私達の洗礼は完全に神秘ですが、信仰によって私達に啓示されています。それは聖霊なる神様の働きです。

私達は神様の子供達として生きると、神の神秘がこの世に現されています。神様の愛と憐れみがこの世に来ます。それは畏敬です。それは荘厳なことです。すごいです。不思議な恐れと不思議な興奮です。

一番神秘的な言葉、心を不思議な恐れで満たす言葉とは、神様の御名を述べ伝える言葉です。即ち、「父と子と聖霊の御名」です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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