三位一体!

2008年5月15日
三位一体主日

福音書の日課、マタイ28:16−20

16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。17 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。18 イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

今日は三位一体主日です。三位一体とは、数学的な方式だけではありません。三角や他のディサインだけではありません。三位一体とは、神様です。神様が聖書の中でご自身をこのように表して下さいました。神様は神秘です。人間の理解を超える方です。神様は私達人間に頭と心と魂を下さいましたので、神様を理解したいと思います。子供達が親を理解したいのと同じです。即ち、神様を愛するので、神様を知りたいと思います。

旧約聖書は、ただ一つだけの神しかいないと教えます。ですから、初代教会が、イエス様も聖霊様も神であると分かった時、いろいろの意見が出ました。悪い意見は異端〔いたん〕と呼ばれ、正当な理解は、「聖なる三位一体の神」と呼ばれています。今日、現在の「異端」や現代の「冒涜」〔ぼうとく〕について話そうと思います。

一番大きな問題とは、人々が神様を信じない事です。ただ一つの神や三つ神や一万の神があっても、多くの人々は自分が無神論者であるといいます。勿論、これは一番大きな神様に対する侮辱です。神様の愛と神様の偉大さを認めない事です。無神論者は、自分で自分の人生を支配すると思い、身体の死は自分の存在の終わりと思います。しかし、今朝、この教会の中には、無神論者がいないので、その人々に説教していません。(と思います。)

二つ目の大きな問題とは、人々が偽ものと言われている“神”を礼拝する事です。その人々の祈りがその言われている神によって聞かれていません。彼らの希望はむなしいです。その宗教は無駄です。時間と労力(ろうりょく)の無駄です。その信仰は無知の上に建てられています。ですから、キリスト教会の宣教の働きは、イエス・キリストについての福音の真理を述べ伝える事です。

三つ目の問題とは、神様に対する考えがメチャメチャになった人々です。これを2つのグループに分けます。最初のグループは、ユダヤ教、イスラム教、エホバの証人、モロモン教のようなものです。聖なる三位一体の教えは、彼らにとってつまずきの岩ですので、自分勝手に説明を作ります。しかし、その説明は十字架上のイエス・キリストの犠牲を認めません。今朝、このグループの人が教会にいないので、この人々の為に説教していません。しかし、その二つ目のグループの人がいるかも知りません、即ち、クリスチャンですが、神様に対する理解がメチャメチャになった人です。地獄で裁かれるほどメチャメチャではないのですが、自分自身を救う事を止めて、イエス様と聖霊の導きを受け入れましたら、キリスト信者としての人生が楽になります。このグループの一部は、言われている「アメリカを祝福する神」と言う宗教のようなものです。それを信じる人は、全然教会に行かない、洗礼を受けない、食べる前に祈らない、しかし、自分はクリスチャンである思います。この人達は何かの神様の存在を信じます。しかし、勿論、マルチン・ルターの小教理問答書を学んで堅信式を受けた人はこのグループにいないでしょうと思います。

ですから、今朝、この教会の人々が持つかもしれない問題について話したいと思います。「信仰」よりも「実行」や「応答」の事でしょう。私達は三位一体の神様を信じますが、その意味は何でしょうか。神様を信じる事の意味とは何でしょうか。先ず、私達が祈る事を意味します。自分の家で祈り、教会の交わりの中で祈り、危険な時にも祈ります。ですから、問題があって、クリスチャンが「オー!マイ・ガード!」と叫ぶ時、それは呪いではなくて、神様が本当に来られて助けて下さる信仰の祈りです。三位一体の神様に祈る時、創り主であり、救い主であり、助け主である神様に祈ります。神様はこのように力強い方ですから、確信を持って祈ります。

神様を信じる事の意味とは何でしょうか。神様を礼拝する事です。私達の礼拝は「父と子と聖霊の御名によって」始まります。

神様を信じる事の意味とは何でしょうか。三位一体の神様による洗礼を受ける事です。又、自分の子供や愛する人も洗礼を受けるようにします。ですから、礼拝を「父と子と聖霊の御名によって」と言う言葉で始めると、それは私達の洗礼を思い起こします。

神様を信じる事の意味とは何でしょうか。それは、私達には、神様の権利〔けんり〕や権能〔けんのう〕があると意味します。この権利によって、私達は福音を述べ伝えたり、教えたり、洗礼を授けたりします。昇天される時、イエス様は弟子達に話しました、「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

この与えられた権利を持って、私達は「平和を持って行って主に仕えます。」どのように主なる神様に仕えましょうか。イエス様によりますと、それは先ず、弟子を作る事です。人に洗礼を施こしたり、人々に福音を伝える事によって弟子を作ります。愛の福音とイエス・キリストによる罪の赦しを教えます。イエス・キリストによって、罪の赦しを宣言する権利が与えられています。人が福音を信じて三位一体の神様の御名によって洗礼を受ける時、それが実現します。

今日、私達は三位一体の神様の信仰を告白します。この神様は私も全世界をも創造したと言います。神様が私たちをも、全世界をも愛して下さると理解する時、主に仕えます、即ち、世界の平和の為に働いて、神様のすばらしい自然を守る為に働きます。

この神様が罪を赦す為に十字架上で死んだと告白します。自分の罪を告白して赦しを受ける時、私達は主に仕えます。これは平和の信仰です。

又、この神様はペンテコステに弟子達の上に来られて、又、今も、毎日信者達の皆の上に来られると告白します。聖霊は私達を聖なる者にします。私達が聖なる教会のメンバーで、キリストの聖なる体のメンパーです。

三位一体主日に、この事をお祝いします。

アーメン。

イケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


説教のリスト