変容の山にいます

2013年2月10日  変容主日 

 ルカ9:28−36
9:28 この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 9:29 祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。 9:30 見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。 9:31 二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。 9:32 ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。 9:33 その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。 9:34 ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 9:35 すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。 9:36 その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。

変容の山の上に6人がいました。イエス様、モーセとエリヤ、そして3人の弟子達、ペトロ、ヨハネとヤコブでした。

イエス様、モーセとエリヤは、エルサレムでイエス様の救いの働きについて話し合いました。この新しい出エジプトのような救いは、エジプトでの奴隷からの救いではなく、罪と地獄の奴隷状態からの救いです。私達はその3人の話の本当の言葉を知りませんが、多分、イエス様を支える為に勇気を与えたでしょう。同時に、特に、その場面を見た弟子たちにも、彼らを支える為の勇気を与えたでしょう。

もしかしたら、モーセの話は、どのようにイスラエルの為に、エジプトから荒れ野に導いて、そしてどのようにその次の40年間、いつもその民と戦ったかについて話したでしょう。しかしモーセは神様の御計画を知りました。その御計画とは、御自分の民を約束の地に連れて来る事です。それで、そのへそ曲がりの人達を指導する為に忍耐としのびがありました。同じように、イエス様は人々を地獄から救い出しますが、人はいつも不平をぶつぶつ言うでしょう。多分モーセの話は、ペトロにとって良いアドバイスになるでしょう。イエス様が死んで甦った後に、キリストの新しい教会の中には、多くの問題が起こります。モーセのように、ペトロにも多くの問題がありました。そして、モーセのように、ペトロも現代の教会も覚えなければならないのは、その救いの出来事と救いの約束です。それこそは私達に勇気と忍耐と耐え偲ぶ力を与えます。私達の罪を赦す為にイエス様は十字架上で死んで下った事を知り、天国の約束の地に私達を連れていく為に、再び来られるのをも知ります。しかし今私達はこの荒れ野のような地にいます。しかし、天からのマナに食べさせられています。即ち、キリストの血と体です。又、私達の創造主の御手から、毎日の糧によって生かされています。ですから、人生の喜びと愛があります。

もしかしたらモーセの話は、シナイ山の上で受けた神様の律法について話したでしょう。どのようにその律法はイエス様に宣告して、彼が十字架上で死ななければならないかについて説明するでしょう。律法によりますと、罪人を罰するように命令します。そして、ひどい罪でしたら死刑になります。それで、イエス様が御自分の上に世の罪を取った時、その罪の罰をも御自分の上に取らなければなりません。罪と共にその罪に対する罰もあります。それで、私達から私達の罪を取った時、イエス様はその罪の罰をも取りました。それは神様の律法の正義です。それが「犠牲」と呼ばれています。又、「贖い」と呼ばれています。又、「身の代わり」と呼ばれています。「別の人の代わり」と呼ばれています。モーセの律法で、これは犠牲の羊になります。福音で、イエス様は「世の罪を取り除く神の子羊」になります。弟子のヨハネは変貌の山にいました。彼の書いた福音書の中には、これが大きなテーマです。シナイ山の律法の栄光は、ゴルゴダの山の福音の栄光になります。イエス様は完全な過ぎ越しの羊として死にますので、彼の血は私達を守る、私達を救い出すしるしになります。

預言者エリヤも変貌の山にいました。聖書によりますと、彼は死なないで、火の馬車で天国に連れられていきました。エリヤは力強い預言者でした。彼の時代に、多くのイスラエル人は神様の愛を忘れました。主なる神様を捨てて、バアルの神々を拝みました。しかし、エリヤは強い言葉としるしによって主なる神様の御心を述べ伝えました。アハブ王はエリヤを殺そうと思いましたが、エリヤは逃げました。変貌の山には弟子ヤコブがいました。ヤコブはエリヤから勇気と力を得たでしょう。ヤコブは新しい教会の指導者で、大胆にイエス様の福音を述べ伝えました。しかしヘロデ王は教会を迫害して、剣でヤコブを殺しました(使徒12:2)。教会の歴史の中で、多くの信者達にはその同じ勇気がありました、何故ならば、彼らもイエス様の栄光を見たからです。これは、変貌の山の栄光をも、ゴルゴダの山の栄光もです。私達が勇気を受けるのは、私達が人生には意味があり、希望があると分かるからです。私達の人生の意味とは、神様の愛の内に生きる事です。私達の人生の希望とは、私達の愛によって、他の人が神様の愛を得る事です。これは、永遠の愛です。私達はエリヤのように火の馬車によって天国に行かないでしょうが、最後の日の主のラッパを聞いて、その時、私達もキリストの栄光を見る事が出来ます。

3人の弟子達は目を覚まして、主の栄光とその変容、姿が変わるのを見ました。素晴らしくて、長くその所にいたいと思いました。ペテロは「仮小屋」を3つ建てるように提案しました。この個所に使ったギリシャ語の言葉(スケーノス)は、仮小屋やテントの事です。旧約聖書の中には、荒れ野でモーセが造った神殿のような幕やです。ペトロは、イエス様が本当に天国から来られた方であると分かったでしょう。その山の頂は聖なる場所であると感じました。それで3つの幕や、3つの神殿をこの3人の為に建てたいと思いました。しかし、イエス様とその3人の弟子達は山を降りなければなりません。イエス様の為に神殿が備えられていました:即ち、十字架です、お墓です、又すべての信者達の心の中です。イエス様は私達の心の中にいます。信仰によって、私達もキリストの栄光を見ました。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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