あなたはメシアですか?

2019年5月12日


ヨハネ 10:22–30

22 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。23 イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。24 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。《

25 イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の吊によって行う業が、わたしについて証しをしている。26 しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。27 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。28 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。29 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。30 わたしと父とは一つである。《

そのころ、エルサレムで神殿奉献(ほうけん)記念祭が行われた。冬であった。23 イエスは、神殿の境内(けいだい)でソロモンの回廊(かいろう)を歩いておられた。24 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、私達に気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。《

先ず、神殿奉献(ほうけん)記念祭について話しましょう。これは、マカパイによる神殿の再びの奉献を記念します。モーセの時、神様の指示によって、モーセはテントのような聖なる臨在の幕屋をつくりました。イスラエル人が40年間荒れ野の旅をする時、この幕屋も動きました。そのテントの中には、契約の箱、香の祭壇、12個のパンもありました。約400年後、ダビデ王はその幕屋をエルサレムに持って来ました。ダビデ王の息子、ソロモン王は、綺麗な神殿の建物を作りました。バビロニアの軍がエルサレムを征朊して、人々を奴隷としてバビロニアに連れられた時、町の壁を崩れ倒して、神殿を破壊して、神殿の道具をバビロニアに持って行きました(587年BC)。70年後、ユダヤ人が故郷に帰る時、神殿を建て直す許可(きょか)を受けました。エズラ記とネヘミヤ記に記録されています(500BCごろ)。平和が続きましたが、168年BC、シリアの王、アンティオクス・エピファネスがヘブライ人の宗教をなくしようと思いました。神殿の中の物を奪い取って、ゼウスの神々の像を立てて、神殿の祭壇の上に豚をいけにえにしました。このようにして神殿を汚しました。それで、マカパイの反乱が起こりました。165年BC、マカパイの指導で、ユダヤ人は、神殿をシリア人から奪い返えして、それを清めて、再び奉献しました(第一マカパイ4章)。奉献の時、神殿のランプの為の油の奇跡もありました。ユダヤ人達は、今も、毎年これを祝っていて、ハヌカという祭りです。ヘロデ大王が、20年BCごろ、神殿を再建しました。しかし、AD70年、ローマの兵隊はその神殿を完全に破壊しました。今は、壁の一部だけが残っています。

ハヌカは12月です。それで今日の福音書が言います、 「そのころ、エルサレムで神殿奉献(ほうけん)記念祭が行われた。冬であった。イエスは、神殿の境内(けいだい)でソロモンの回廊(かいろう)を歩いておられた。《

ユダヤ人にとっては、神殿は国のシンボルです。神殿奉献(ほうけん)記念祭の時、ユダヤ人達は、どのように神様が以前に彼らを救い出したかを覚えて、再び救い出すように祈ります。ローマの支配から救い出すように祈ったでしょう。それで、彼らの為に戦う政治上の人や軍隊的な指導者を待ち望みました。その人はキリストです、即ち、メシアです。ユダヤ人はイエス様の話を聞きました。彼がなさった奇跡も見ました。彼はローマ人を追い出す大きいな奇跡が出来るでしょうか。ダビデ王とソロモン王の時代のイスラエルの栄光の時代を取り戻す事が出来るでしょうか。それで、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、私達に気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。《

25 イエスは答えられた。「私は言ったが、あなたたちは信じない。私が父の吊によって行う業が、私について証しをしている。26 しかし、あなたたちは信じない。私の羊ではないからである。27 私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私に従う。28 私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らを私の手から奪うことはできない。29 私の父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。30 私と父とは一つである。《

イエス様に従う者は信じます。従わない者でしたら、イエス様を信じなければ、イエス様の話をも、イエス様が救い主であると表わす奇跡としるしをも信じません。言い換えますと、信じる為に、先ず、信者になる事が必要です。

そして、信者はご自分の羊であると言われました。イエス様が与える救いは、神殿の建物より偉大なるものです。永遠の命です。神殿の建物や町の城壁を破壊する事が出来ますが、イエス様のみ手から羊を奪う事が出来るものがありません。救いが確かです。

イエス様はユダヤ人が期待したメシアではありませんでした。それで、イエス様をメシアとして受け入れる事が出来ませんでした。彼らは本当の神の国を探しませんでした。ですから、彼らは、イエス様の羊の群れに入る事が出来ませんでした、いや、入ろうと思いませんでした。実は、これは現代の問題でもあります。人々は何かの救いか解放か助けを探しますが、イエス様を自分に助ける者として見ません。イエス様が問題の解決であると見る事が出来ないのは、自分の本当の問題が分からないからです。表に出る問題や病状(びょうじょう)や他の敵を見ますが、本当の問題、即ち罪と上信仰を見ません。

イエス様は本当のメシアです。それで、神様の敵に勝つ為に来られました。その神様の敵は、人間もの敵です。その敵は目で見える政治上や他の物質的なものだけではありません。心の中で隠れた霊的なものもです。その敵とは、罪、死、と悪魔です。このような敵に勝つ事が出来るのは、イエス様の死と復活だけです。釘で刺された手こそは、安全で、何も、だれも父の手から私達を奪う事は出来ないのです。

今日は、エルサレムの神の臨在の神殿奉献(ほうけん)記念祭ではなくて、キリストが私達の心の中に住む事を祝います。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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