驚きの福音

2013年6月2日
聖霊降臨後第2主日

ルカ 7:1-10
7:1イエスは、民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。 7:2 ところで、ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。 7:3 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、部下を助けに来てくださるように頼んだ。 7:4 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。 7:5 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」
7:6 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。 7:7 ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。 7:8 わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」 7:10 使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。

イエス様は驚きました。福音書の日課を読みます。「7:9 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」この福音書の話しの中には、ほかの驚くべきものもあります。

最初の驚くべきものとは、イエス様の助けを頼んだ人がユダヤ人ではなかった事です。ローマの兵隊、百人隊長でした。普通、ユダヤ人達が考えたのは、自分の宗教はユダヤ人だけの為だと思う事です。救いと神様の助けは、自分達だけの為だと思いました。旧約聖書の中には、すべての国の人々の為の神様の愛を表す祈りや話しがありますが、普通のユダヤ人達は、自分達だけが選ばれた民だと思いました。それで、今日の話しの中で、そのユダヤ人の長老達がイエス様の所に行き、その外人の為に熱心に願った事は驚くべきです。言いました、「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」これも不思議です。外人がユダヤ人を愛する事、会堂を立ててくれるほど彼等の宗教を大事にする事です。彼はPRの為に、兵隊と町の人々の良い関係を作る為にしたかも知れませんが、彼が本当にユダヤ人を愛したと私は思います。それは、自分の部下への関心と愛の中に表されていると思います。驚くべきことは、このしもべとは、奴隷であるからです。ギリシャ語の新約聖書の言葉は「奴隷」です。多くの現代的な聖書翻訳は、弱い言葉である「下部(しもべ)」と言います。驚くのは、その時、奴隷は家畜や道具にすぎなく、使って捨てる事が出来るものと思われていたからです。しかし、この兵隊の百人隊長は、自分の奴隷の事を心配して、助けてもらいたいと思いました。

ユダヤ人達の長老達はイエス様にお願いして、イエス様は百人隊長の家に向かって行きました。イエス様以外の人でしたら、その行動に驚きます。何故ならば、ユダヤ人は、汚れている異邦人と接触したくないのです。異邦人の家に入りましたら、後でめんどくさい清めの儀式をしなければならないからです。イエス様がその宗教的な汚れを恐れないので、あるユダヤ人は驚くでしょう。しかし、あなたと私は全然驚かないでしょう。イエス様は罪人と徴税人と売春婦と話したり、良いサマリア人の例え話を話しました。病気で死にかかっている人の事を聞いたので、イエス様はその人を助ける為に行きました。その人の社会的な地位、彼の国籍、彼の宗教をもかまいません。これこそは、神様の愛の一番びっくりするところです。即ち、神様は罪人を愛する事です。同じように、イエス様がその百人隊長を助ける理由とは、彼が良い人でユダヤ人を愛して彼等の会堂を建てたからではありません。彼がそれをしたので親切ですが、それでイエス様の助けにふさわしくなる訳ではありません。長老達は間違いました。イエス様が彼を助けたのは、しもべが病気だからです。

今度、イエス様ご自身が驚きます。百人隊長は友達を使いに送って言わせました、「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」ここに2つの事を見ます:その人のイエス様に対するけんそんと彼のイエス様に対する信仰です。イエス様はその信仰を見ました。イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

キリスト教の中にサプライズがいっぱいです。先ず、クリスマス:神様は人間になる事:イースター:神様は十字架上で死んで3日目に甦る事;そしてペンテコステ:聖霊は信仰を起こして、全世界に福音を述べ伝える為の力と権威を与える事です。イエス様によって、神様が私達を愛して、あわれんで、私達の罪を赦す事は驚くべきことです。クリスチャン達が本当に説教するように行動する時、この世の人々は驚きます。クリスチャン達が説教するように行動しない時、この世の人々は驚きません。しかし、がっかりするでしょう。個人的に言うと、神様が罪人である私をあきらめていないので、驚きます。実は、私が洗礼を受けた時に神様が約束した事を神様は守りました。洗礼の時、神様が約束したのは私達の父になる事、私の御兄さんと贖い主になる事、又、私のガイドと赦し主になる事です。この神様の約束は、あなたの為にもです。毎日、神様の愛と赦しと和解と平和の奇跡は私達を驚かします。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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