「キリストは道、真理、命:
その真の道を歩んで命に着いていたステファノ:執事と殉教者」

2014年5月18日、復活後第4主日



使徒 6:1〜9, 7:51〜60

6:1 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 6:2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」 6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。

6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

6:8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。 6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。

7:2a そこで、ステファノは言った。
7:51 「かたくなで、心と耳に割礼を受けていない人たち、あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖が逆らったように、あなたがたもそうしているのです。 7:52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、一人でもいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを預言した人々を殺しました。そして今や、あなたがたがその方を裏切る者、殺す者となった。 7:53 天使たちを通して律法を受けた者なのに、それを守りませんでした。」

7:54 人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。 7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、 7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。 7:57 人々は大声で叫びながら耳を手でふさぎ、ステファノ目がけて一斉に襲いかかり、 7:58 都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。 7:59 人々が石を投げつけている間、ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言った。 7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。

イエス様は言われました、「わたしは道であり、真理であり、命である」 (ヨハネ14:6)。今日のテーマは、「キリストは道であり、真理であり、命である:その真(まこと)の道を歩んで命に着いていたステファノ:執事と殉教者。」です。

ステファノは、2つの事でよく知られています。彼は初代教会の最初の執事のグループの一人した。そして、最初のキリスト教会の殉教者でした。今日、先ず彼の執事としての働きを見て、その後で、殉教者になった事を見ましょう。

「執事」とは教会の中で奉仕(ほうし)をする人です。(聖書のギリシャの言葉は「デアコニア」です。) 教会によって場所によって時代によって、執事の働きはかなり違います。ある時、執事は牧師の下で働く副牧師に近いです。この執事は、説教したり、小教理問答書を教えたり、礼拝をしたり、聖礼典を行なったり、病気や家から出られない人々を訪問したりします。このような執事は按手礼を受けます。普通の牧師も、使徒言行緑の聖ステファノと同じです。執事の資格〔しかく〕は、昔と同じです。使徒6章で読みます、「“霊”と知恵に満ちた評判の良い人」です。ある教会では、女性(じょせい)が牧師の仕事をする事を許しませんが、女執事は許されています。副牧師のように、聖書クラスを教えたり、いろいろな教会の働きをしたります。ある教団の中では、この女執事は説教したり聖礼典を行なったりする事を許しませんが、日本ルーテル教団では許されています。そして、すべての執事は、聖ステファノと同じように、主なる神様と教会に奉仕をする為の招命(しょうめい)が有ります。ところで、ある教会の中では、執事と長老は同じです。又、教会の役員会のメンバーは執事と呼ばれています。又、ある時執事は、教会のお掃除をする人、日曜日の朝に教会の鐘を鳴らす人です。しかし、皆は、主なる神様と教会に奉仕をする人です。「万人祭司」と言う表現があります。その意味とは、すべてのクリスチャンには、祭司や牧師のように、祈ったり、福音の愛と赦しを話したりして、教会のミニストリに活躍しています。「万人執事」と言う表現がありませんが、あれば、すべてのクリスチャンには、神様や教会の為に奉仕する働きがある事を意味するでしょう。

ステファノの最初の仕事とは、やもめたちへの日々の分配のことでした。  初代〔しょだい〕教会はお互いに助け合う交わりでした。金持ちは教会に大きな寄付をしました。そのお金で、貧しい会員を助けました。特にやもめ達にです。ですから、日々の分配の事は食べ物の事でしたでしょう。自分の家から出られないお年寄りの人々の為に、今もある教会は、毎日食事を持って行きます。初代教会の時代には、このような社会福祉は、教会の執事の働きでした。確かに、聖ステファノがそれを配達する時、その人と話したり祈ったりしたでしょう。

「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」人です。又、伝道者、イエス・キリストの福音を語る人でした。有るユダヤ人はステファノと議論しました。彼らは福音を信じようと思いませんでした。ステファノは上手に議論する人でした。彼らはステファノと議論して負けたので、彼をユダヤ人の最高法院〔さいこうほういん〕に引いて行きました。彼を裁く為に、彼がもう話さないようにしようと思いました。この同じ最高法院はイエス様を死刑にしました。ステファノはそれを理解しました。それ知って有る人にとって大きな心配でしょうが、ステファノには自信がありました、又、福音を語る事が出来たので、大喜びでした。その裁判で訴えられた人はステファノでしたが、話す時、ステファノはそのユダヤ人達を訴えてユダヤ人を裁きました。昔のユダヤ人達は昔の預言者達を殺したと同じように、今度、彼らは本当のメシアを裏切って殺しました。イエス様を死刑にするように裁いた裁判は人殺しに過ぎないとステファノは言いました。それで彼らは腹が立ちました。このように読みます。「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした」と。回りの人々の心は怒りでいっぱいで興奮したが、ステファノには、完全な平和がありました。「7:55 ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、7:56 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と言った。」

それはリンチをする群集の行動になりました。イエス様の場合と違って、死刑にする許可〔きょか〕をローマの責任者から受ける事を無視しました。群衆はステファノを都の外に引きずり出して石を投げ始めました。この時、ステファノは主イエス様と同じでした。神様を信頼して、彼の敵を赦しました。「ステファノは主に呼びかけて、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。7:60 それから、ひざまずいて、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んだ。ステファノはこう言って、眠りについた。」私はステファノの死に方が好きです。平安を持って、完全に神様に信頼して、「眠りについた」のです。

このようにして、ステファノは最初のキリスト教会の殉教者になって、自分達の命をキリストに捧げるすべてのキリスト信者達の模範〔もはん〕になりました。確信、平安、勇気、満足、キリストや教会の執事のような奉仕をする人の模範です。教会の歴史とその殉教者の歴史について読みますと、平和を持って、敵を赦しながら、敵の為に祈りながら死ぬ人を沢山見つけることが出来ます。このような愛はイエス様の死と復活のみに 学ぶ事ができます。このような愛を実行する力はイエス様の死と復活のみに 有ります。

私は、自分の事はどうなるでしょうか考えた事があります。自分が殉教者になるか、それとも自分の命を守る為に逃げ出すでしょうかと。「殉教者」と言う聖書の言葉は「証し人、証人」と意味します。自分の信仰の表し方は、自分の死に方だけではなく、その生き方によっても表します。何かの為に死ぬ価値があれば、先ず、そのものの為に生きる価値もあります。もしイエス様があなたの人生の一部でしたら、あなたがどのように死んでも、イエス様があなたの死の一部にもなります。もし、あなたが生きているあいだイエス様があなたと共にいましたら、あなたが死ぬ時にもあなたと共にいまし、永遠にあなたと共にいます。人生を生きる事に価値を与えるのは、キリストの愛です。その愛は私達の生きている人生にも、死ぬ時にも、力と尊さを与えます。それは、私達の人生の状態や死ぬ状態が何であってても、その力と尊さを与えます。ステファノが復活を信じたので、平和を持って死ぬ事が出来ました。ステファノは幻を見ました。それは、天国で彼の為に立って待っているイエス様の姿でした。自分の為にイエス様が用意して下さった場所があると知りました。私達にも同じ幻があります。ですから、執事としてキリストに奉仕する人生に力と尊さを与えます。イエス様は言われました。「私は道であり、真理であり、命である」。イエス様は先ず私達の為に働いて下さったので、私達はキリストの為に働きます。

今日、私達は聖ステファノを記念して、又、キリストを信じる信仰の為に死んだすべての人々を覚えます。現在も、自分がキリスト信者であると言う事の理由だけで、迫害や殺される人々がいます。アフリカの政治や宗教の不安な秩序〔ちつじょ〕、多くのアラブの国、又アメリカで精神状態のおかしくなった人は、拳銃〔けんじゅう〕をもって人を殺す事があります。これらの襲osoわれた人々、被害者〔ひがいしゃ〕の為に、慰めと希望と力があるように祈ります。又、私達が執事として、毎日、キリストにも、教会にも、この世にも、奉仕をする時に、同じ希望と力が私達にもありますように祈ります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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