顕現:星にピントを合わせ 

2016年1月8日、顕現日

マタイ2:1-12
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。 わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」

「占星術(せんせいじゅつ)の学者」は現代のイランの国、昔のペルシアのミディアの地方から来ました。ギリシャ語で「占星術の学者」とは「マゴイ」です。「マゴイ」という言葉から「マジック」と言う言葉が来ます。この人達は、星占い師でしたし、祭司でしたし、マジシャンでしたし、学者でした。ですから、よく「博士達」と呼ばれています。彼らが星を研究した時、異常(いじょう)な現象(げんしょう)を見ました。そして、ユダヤの国に新しい王が生まれたと解釈しました。冒険(ぼうけん)のように、その新しい王を見に行こうと思いました。現代の学者や科学者達は、新しい学説を確かめるために、山や砂漠や宇宙まで行きます。同じように、その「占星術の学者」はその星の導きに従わなければなりませんでした。マゴイの昔の評判とは、そのようだったので、その旅に出掛けるのは、不思議ではありません。現代の天文学者達は、博士達が見た星はどの星であったかが分かりません。しかし、何か特別なものでした。何故ならば、星の現(あらわ)れと共に、聖霊はその意味を教えて、ユダヤに導いて下さいました。聖霊は、その異教の占星術の学者達の中で働きました。

星を研究するために、天文学者達は望遠鏡を使います。望遠鏡を最初に眺めますと、見たいと思うイメージはぼんやりしています。ピントを合わせますと、見たい物をはっきり見る事が出来ます。博士達の場合にもそうでした。最初は、ぼんやりとした理解がありました。ユダヤに新しい王が生まれた事だけ分かりました。ですから、ヘロデ王の所に行きました。そして、ユダヤ人の祭司や律法学者達はそのサーチ(探索(たんさく))を手伝いました。ピントを合わせる為に、聖書の御言葉が必要でした。キリストがユダヤのベツレヘムで生まれなければならないとの聖書の言葉を教えました(マタイ2:5,ミカ5:2)。

それで、博士達のぼんやりとした理解は、神様の御言葉によってはっきりしました。ピントがイエス・キリストに合わせられたからです。それで、新しい王を見つける事が出来、彼らは大いに喜びました。「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」黄金は王の為に素晴らしい贈り物です。祭司は礼拝や罪を赦す犠牲を捧げる時に香を使いますので、祭司の為に素晴らしい贈り物です。没薬は香油のようでしたが、死んだ人の体に塗りましたので、イエス様の十字架上での死を指さします。イエス様は王であり、祭司であり、犠牲でありますので、博士達の贈り物は意味深い、とってもふさわしかったです。

博士達はその星に従ってイエス様を見つけました。私達は、何に従うでしょうか。何を見つけるでしょうか。星のように輝く事があって、人が最初に教会に行く興味があります。例えば、音楽が好き、ピザパーティが好き、クリスチャンとの交わりが好きでしょう。また、心の平和や健康が欲しいでしょう。人生の偉大なる問題の解決を探しているでしょう。愛を探しているでしょう。しかし、もしその人がエルサレムまでに来て、ベツレヘムまで行かなければ、目的に着きません。博士達がイエス様を見つけたのは、神の御言葉の中から表されたからです。私達もそうです。聖書の中にイエス様が私達に表されています。ですから、私達は聖書を読んで学びます、自分の人生のために、イエス様を見つける為です。それで、フォーカスをキリストからづれないのうに、何かをする前に祈ります。

自分の人生がぼんやりにしている時、フォカスが必要です。自分が自分の人生を支配する事が出来ないと感じる時、はっきりしたヴィジョーンが必要です。この世の中の多くのものは、楽しくて幸せな人生を教えよと思います。お酒と麻薬からテレビとおもちゃまでです。又、食べ物とファッション、ゲームやかけやスポーツや勉強や家と家族や仕事と遊びや薬とヨガ等々。多くのものが良いでしょうが、私達の人生を完全にフォーカスする事が出来ません。イエス・キリストしかそれが出来ません。他のものを完全に信頼しようと思いましたら、第一の戒めを破る可能性があります。「第一の戒め。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。問い、これは、どんな意味ですか。答え、わたしたちは、何ものよりも、神を畏れ、愛し、信頼しなければなりません。」ほかのものよりも神様を完全に信頼する時、私達の人生のイメージがはっきりとなります。

人生の質問の答えを、博士達と同じ所に見つけます。即ち、神様の御言葉の中です。勿論、どの会社の株を買えばよいか見つけられませんが、十戒は正直な商売のやり方を教えます。勿論、誰と結婚したらよいか教えませんが、福音は愛は何であるかを教え、結婚を大事にして、他の人を尊ぶ方法を教えます。十戒や主の祈りや聖書のすべては、神様の知識や人生の生き方を教えます。ですから福音はまずイエス様とキリストの十字架上での死を指します。十字架にフォーカスしピントを合わせますと、ベツレヘムで生まれた赤ちゃんのそこから行く道が分かります。それで、神様の愛と犠牲をよく見る事が出来ます。

私達が神様の愛を見る事が出来るのは、彼がまず私達を見て、愛して下さったからです。全能の神様は私達一人一人を愛して、御自分を私達に表したいと思います。ベツレヘムの星、クリスマスツリーの上にある星、私達の心の中の愛、唇が語る良い知らせは、多くの人々をイエス様に導いて下さいます。

望遠鏡(ぼうえんきょう)や双眼鏡(そうがんきょう)を逆に眺めますと、すべては小さくて、遠くに見えます。たまに、神様はそうみたいです。神様は自分から遠く離れているみたいです。しかし、その時こそ、もしかしたら、神様は正しい方向から私達を見て、私達の心や思いをよく見るでしょう。そして、私達の信仰と信頼と祈りを見る時、神様は御自分の愛、赦しと導きを表すでしょう。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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