不正な管理人と誠の友情

2013年9月22日



福音書  ルカ16: 1〜13 (新 140)
16:1 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。16:2 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』
16:3 管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。16:4 そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』
16:5 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。16:6 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』16:7 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』16:8 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。
この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。16:9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。16:10 ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。16:11 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。
16:12 また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。16:13 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

今日、友情について話しましょう。いろんな友達がいます。ある人は、ただの知り合いで、「今日は」と挨拶を交わす人だけです。ある人は自分と同じクルーップやクラスにいますが、クラスの外で決して一緒に何もしません。ある人は、何かを一緒にする友達です。例えば、クラブ活動、趣味、会社の同僚者、教会の会員同士です。古いことわざです。《危急の際の友こそ誠の友である》、即ち、問題がある時、自分を助けてくれる人は本当の友達です。又、聖書の箴言27:10が言います、「あなたの友人、父の友人を捨てるな。災いの日に、あなたの兄弟の家には行くな。近い隣人は遠い兄弟にまさる。」

良い友達とは、問題がある時助けてくれる人です。忠告を始め、お金、緊急の時の救い、又、同情して悩みをきいてくれます。必要な時、良い友は自分を見捨てません。友達と友達の間には、特別な絆があります。この友情は愛情の一つの形です。夫婦が結婚する時、死ぬまでに友達になるように約束します。「私、{名前}あなた{名前}を妻/夫とし、幸せな時にも、不幸な時にも、豊かな時にも、貧しい時にも、健康な時にも、病気の時にも、あなたを愛し、尊び、死がふたりを別つまで、神の定めに従って、夫婦であることを約束します。」同じように、良い友達は困った時、私達を捨てません。信頼があります。忠実さがあります。友達の評判を守り、友達が恥ずかしい事をしても、友の為に戦うでしょう。そして戦って負けても、戦いがいがあったと思います。何故ならば、友達の為だったからです。

ですから、良い友達を作る事が大切です。一番良い作り方とは、自分こそが別の人の友達のようにする事でしょう。友達をお金で買う事が出来るでしょうが、お金がなくなると友達もなくなるでしょう。しかし、お金があれば、新しい人と出会う事が出来ましたら、その後に友になる人がいるかも知りません。別の人と共に、いろいろな経験をすると、お互いの信頼を築く事が出来ます。それで、危険や緊急の時、友達があなたと共にいるでしょう。何故ならば、友達に危険があれば、あなたはその友達のそばにいると分かるからです。

今日の福音書の日課には、友達を作ろうと思った人がいます。主人の財産を無駄使いしているので、首になる管理人がいました。それで首になった後に、生活が出来る為に、自分を助けてくれる友達を作ろうと思いました。その不正な管理人は、不正なやり方で、それをしました。実は、この例え話の皆は不正な人みたいです。管理人を初め、彼のプランに参加した主人に借りのある者、一人一人をもふくめ、又、その管理人のやり方を誉めた主人もそうでしょう。

そして、イエス様は言われました。「16:8この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。16:9 そこで、私は言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」

イエス様はクリスチャン達を非難しているみたいです。しかし、キリスト信者達は、正直な人で不正な事をしようと思いません。それは、お金を扱う時にも、人と共に働く時にもそうですので、クリスチャンがあまり賢くないように見えるでしょう。私達は第8の戒めを守るので、友達を作る為に人に嘘を言いません。自分の利益だけの為に他の人をだましたり、利用したりしたくありません。

良い友達を見つけて、作る事はいつも簡単ではありません。時には、彼等は私達のような友達が欲しくないのです。何故ならば、私達は彼らにとって良い友達ではないからです。私達は信頼する事が出来ないものでしたら、忠実でなければ、自分が良い友達になりません。それで危機が起こりますと、私達は淋しい一人になるかも知りません。

必要な時、イエス様が私達の友達になるでしょうか。私達のそばにいるでしょうか、私達を見捨てるでしょうか。私達はいつもイエス様に忠実だったでしょうか。福音の良い知らせとは、どんな場合があっても、イエス様は私達の友達で有る事です。私達が忠実でなくても、イエス様は忠実です。私達がごく小さな事に信頼出来ないでしょうが、イエス様が世の罪に信頼されたのです。その負債が彼の上に置かれました。それを赦しました。例え話と違います。負債を減らしただけではなくて、それを消しました。十字架上で流された血によって払いました。それで、裁きの日に、帳簿を開きます。「完全払いすみ」と書かれています。

最後の晩餐で、イエス様は誠の友情について弟子達に話しました。 ヨハネ15:12−15。「12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。13 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。」

今日の福音書の日課で、イエス様はこのように言われました、「16:9 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。」伝道や宣教の為にお金を使うように言われるでしょう。ある伝道の方法はすごくお金がかかります、例えば、ラジオとテレビ、チラシ、宣教師を送る事です。しかし、人々がイエス様の知り合いになりましたら、その人は私達の永遠の友達になります。【ところですが、私の聖書注解書の本は、面白いコメントを書いていました。ユダヤ人は、慈善、チャリテイは宗教的な大切な働き、義務のように考えました。分かり安く言います。自分の地上のお金を天国に自分で持って行く事が出来ないので、貧しい人のポケットに入れなければなりません。天国の住まいが欲しいと思いましたら、地上のやもめと孤児(こじ)の必要を支えなければなりません。】

私達はその不正な管理人のようになってはいけません。しかし、イエス様は私達がいろいろな友達を作るようになって欲しいでしょう。特に、イエス様ご自身は私達の友達になりたいと思います。私達はいつも彼を信頼する事が出来ます。彼こそいつも私達と共にいます。いつも私達の祈りを聞こうと思います。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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