罪人であたった聖徒達

2020年11月1日、全聖徒の日

教会のカレンダーによりますと、11月1日の今日は全聖徒の日です。一年を通して、キリストの人生の大きい出来事をお祝いします:誕生、死、復活と昇天です。又、ペンテコステがあります。又アドベントとレントの準備の時期もあります。又、聖徒の日と記念日があります。昔の聖徒を覚えるのは、彼らが私達にキリスト信者としての生き方を教える模範であるからです。又、殉教者達は、キリスト信者としての死に方をも教えます。ある聖徒には特別の日があります、例えば聖バレンタインや聖パトリックなどです。しかし、11月1日は、すべての人を覚える特別な礼拝です。全聖徒の日は救いのお祝いです。死んだ聖徒の為だけではなくて、私達もの救いのお祝いもです。何故ならば、私達もイエス・キリストを自分の救い主として信じるからです。

正式な肩書き「聖《と言う人がいます。現代のルーテル教会には、正式にその肩書きがない、天に召された人、私達が個人的に知ってるキリスト信者を覚えます。両親、おじいさんとおばあさん、友達です。私達は年を取ると、そのリストが長くなります。今日、昇天者記念の祷りがあります。そして、沖縄ルーテル教会の聖徒をも覚えます。

今日は記念会のようであり、ちょっとお葬式のようでもあります。記念会の場合には、死んだ人を覚えますが、お葬式の場合には、死んだイエス様を覚えます。キリスト教会の葬式の中で、死んだ人を覚えて、その人について話します。「賛辞《です。ほめる話です。いつどこで生まれ、教育、家族、仕事、人生の戦いと勝利、死に方です。その人の良い点と良い業を語ります。そのような素晴らしい人が天国に行く価値があるように話します。良い親でしたし、良い隣人でしたし、教会の中でよく働きました。とっても素晴らしい聖徒でした!

その話の後には説教が来ます。説教者は、あの人が確かに聖徒でしたが、同時に罪人であったと言います。マタイ5章の「幸せ《の言葉や山上の説教によっていつも生活しませんでした。天国に行くのは、教会の聖歌隊で歌ったからではありません。救われたのは、ただ、イエス・キリストの赦しと恵みを信じる信仰のみです。それこそはキリスト教会の葬式の力です。綺麗な音楽や美しい花ではありません。キリスト教会の葬式の力とは、イエス・キリストの福音です。即ち、その人が罪人でしても、イエス様は私達の愛する者をご自分の御手にとって、永遠の命を下さった事です。なぜなればイエス・キリストの赦しは私達の罪より強いからです。十字架上で流されたイエス・キリストの血は私達を清めるからです。そして、その救いは、私達の愛する者の為ですが、今私達の為でもあります。復活の日に、私達は愛された人々と再び会うと知ります。それはキリスト教の生きている希望と慰めです。

今日は悲しいお葬式よりも、救いのお祝いです。このような時が大切です。何故ならば、私達キリスト信者でも、この地上の人生を苦しむからです。私達は聖徒達と違って、私達は地上の人生の心配と病気と災いから自由になっていません。それで、私達の良い羊が見えなくなる時があります。誘惑と罪と悪と上信仰の中に迷います。自分の洗礼を忘れましたら、霊的に乾きます。み言葉を聞かなければ、聖餐式を受けなければ、霊的に飢えます。それで、私達は11月1日に記念されたよりも、私達が10月31に記念された事を恐れます。

昔のヨーロッパ、秋と冬の暗い夜には、悪霊と死の本当の恐れがありました。ハロウィーンは楽しい遊びの夜ではなくて、本当の恐怖、死、と悪の夜でした。その恐怖を乗り越える方法が、キリスト教会は分かりました。それはイエス・キリストの福音でした。聖霊は悪霊を征朊します。イエス様の復活は死と地獄に勝ちます。クリスマス、聖金曜日と復活祭の福音とは、私達のこの地上の人生の苦しみと戦いの真ん中にも、キリストが私達と共にいると述べ伝えます。生まれた時から、死ぬ時にも、永遠の命にも、私達と共にいます。イエス・キリストによって、私達には勝利があります。

それで、今日は勝利のお祝いです。福音のお祝いです。即ち、イエス・キリストの死と復活によって、私とあなたのような罪人が、私達の先に天に召された数限りない聖徒の交わりに加えられているからです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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