さ迷う者を家に帰す

2011年9月4日

福 音 書 マ タ イ 18:12-20  (p. 新 35 ) (日本語と英語)

18:12 あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。18:13 はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。18:14 そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない。」

18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。18:16 聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。18:18 はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」

イエス様は良い羊飼いです。言われました、「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(ルカ19:10)。今日の福音書には九十九匹の羊を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜す羊飼いがいます。その羊飼いとは、イエス・キリストです。天の父なる神様は、さ迷っている、いかなる一匹の羊でさえも失われて欲しくありません。失われて死ぬ一人の人間でさえも欲しくありません。ですから、この世に御子イエス様を遣わしになりました。イエス様はいわれました、「悔い改めて福音を信じなさい」と。その意味とは、「さまよわないで、神様の家に帰りなさい」と。そして、一匹の羊でも帰りますと、神様は喜びます。さ迷っている羊を探して、イエス様は全世界を探します。イエス様はゴルゴダの山まで行って、そこで十字架につけられました。この捜索(そうさく)に、イエス様は地獄まで行きました。それは苦しめる為ではなくて、御自分の愛する羊を見つける為に、安全に天国に帰らせる為でした。イエス様は私達の心にこられて、「あなたが見つけられていますよ。一緒に帰りましょう」と。

イエス様はあなたを何回探したででしょうか。あなたは十戒を何回破った事があるでしょうか。イエス様はあきらめません。「悔い改めと赦し」という言葉をよく使います。即ち、「あなたが見つけられていますよ。赦されていますよ。帰りましょう。」と。ペテロはある時、イエス様に聞きました。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」 イエスは言われました。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。」(マタイ18:21-22)。言い代えますと、数え切れないほど、絶えず赦し続ける事です。それは、神様が私達を赦す方法です。神様の憐れみと愛は無限です。神に感謝します!

今日の福音書でイエス様は言われます。18:15 「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。」その兄弟は迷っている羊のようです。探さなければなりません。赦さなければなりません。帰らせなければなりません。その兄弟を見つけられなければ、ほかの人を連れて探せばいいです。もしかしたら、そのほかの人の言葉を聞き入れて自分の罪深い行いを直すかもしれません。しなければ、今度、多くの人々を連れていって、彼を探しましょう。イエス様の御名によって、兄弟が帰るように祈りましょう。イエス様は言われました、「18:19 また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。18:20 二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」イエス様も私達の兄弟を探します。

ある時、兄弟が全然神様の御言葉を聞こうと思わないで、自分の過ちを認めないで、赦しを拒みますで、神様の所に帰らないように決めます。その日は、教会にとって淋しい日で、神様にとって悲しい日です。多くの教会の教会憲法には、マタイ18章の言葉で、会員を教会から追放(ついほう)する時 の為にガイドラインがあります。私達の沖縄ルーテル教会の憲法、第4章、第7条に書いてあります。そこに書いているのは、さ迷っている羊を破門する前に、帰るように力を尽くさなければならない事です。即ち、破門する事を難しくします。勿論、このマタイ18章が間違って利用されている時があります。嫌いな人を教会から追い出すのに使う方法です。異端に対する裁判のようです。先ず、一人でその人と話します。第2、二人の証人を連れて行きます。第3、教会の役員会や地区運営委員会に問題を出します。第4、最初に計画したように、その人を教会や教団から追い出します。3ストライクでアウトです。

しかし、それは神様のやり方ではありません。神様の愛と憐れみと忍耐と赦しは無限です。神様は良い羊飼いです。私達を探して下さいます。私達を見つけますと、神様は喜びます。教会も喜びます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド
牧師沖縄ルーテル教会


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