キリストが地球の国民として登録された

2021年12月26日、クリスマスの主日

メーリクリスマス!キリストがお生まれになりました、おめでとうございます!

昨夜(ゆうべ)、キリストの誕生をお祝いして、今日もそのお祝いを続けます。お祝いするのは、全能の神様が人間の赤ちゃんになって、私達を罪から救う為に、私達の世界に生まれた事です。

今朝、昨夜読んだクリスマスの福音の最初の一節を学びたいと思います。ルカ2:1、「そのころ、皇帝(こうてい)アウグストゥスから全領土(ぜんりょうど)の住民(じゅうみん)に、登録(とうろく)をせよとの勅令(ちょくれい)が出た。《この登録の目的は何だったでしょうか。皇帝自らは、それが税金や軍隊の為だったと思ったかも知れませんが、福音書を書いたルカに分かっていたのは、神様には違う目的がありました。即ち、イエス様がベツレヘムで生まれる為でした。と言うのは、ヨセフとマリアはイスラエルの北の方のナザレの町に住みました。そして、皇帝の勅令がなければ、ナザレにそのままいるでしょう。そうでしたら、イエス様はそのナザレに生まれrたでしょう。聖書がたびたび教えるように、神様はこの世のものと人を利用します。私達を祝福する為に、異教の王様をも利用します。

ベツレヘムでの登録は2つの事をします。先ず、ヨセフがマリアと結婚して、マリアの吊前がヨセフの家族の戸籍(こせき)に加えられます。数日後、イエス様が生まれた後に、彼の吊前もその戸籍に加えられます。  ヨセフはダビデ王の子孫(しそん)でした。神様はダビデ王の子孫の一人は救い主になると約束しました。それで、イエス様はダビデ王の子孫として生まれたので、イスラエルの王になる権利があります。後で、イエス様は神の国が近付いたと述べ伝えました。又、十字架上で王の冠を受けます。

ベツレヘムに登録する事が2つ目の事をします。即ち、イエス様をこの世の国民として登録します。ルカ2:1の直訳はこのようです:「そのころ、全世界の住民(じゅうみん)登録(とうろく)をせよと言う勅令(ちょくれい)が、皇帝(こうてい)アウグストゥスから出た。《勿論、カイザルのようないばっている者が全世界を支配したいと思うでしょう。しかし、福音書を書いたルカが述べたいと思うのは、イエス様が全世界の国民として登録される事です。何故ならば、イエス様は全世界の救い主であるからです。神の国はイスラエルの国より大きいですし、ローマの帝国よりも大きいです。救いはすべての人の為です。クリスマスは全世界の為です。

それで、イエス様の吊前が正式にベツレヘムの町の市民として記録されました。福音書の中では、イエス様の吊前がもう一度正式に書かれた時があります。十字架上の札に書かれていました。ローマの総督ポンテオ・ピラトは正式に書きました、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王《と。この為にイエス様が生まれました。十字架上で死ぬ為に生まれました。ユダヤ人を始め、全世界の人々の救い主になる為に生まれました。そして、今は、その救いが私達にも来ました。

私達には救いが必要でしょうか。必要ですが、それが必要であると感じない時があります。又、私達を救う事が出来ない物の中で救いを探します。又、救いが要らないと思います。しかし、もっとも難しい問題とは、人が、本当の救いが何であるか分からない事です。あなたは救いが何であるか分かりますか。説明する事が出来ますか。説明が難しいのは、自分の経験しか分からないからです。この意味で、救いは、火事で燃える建物から救い出した事や、溺(おぼ)れる前に溢れる川から救い出した事や、飢饉(ききん)の時の食物、戦争の時の難民キャンプ、DVの家庭暴力の時の守り、病気からの回復、悲しい時の慰(なぐさ)め、悪い良心の赦し等です。このようなすべてのもの為に神様に祈ります。神様が私達を助けます。同時に神様はこの世の中のすべての人々を愛しますので、すべての人々を助けます。しかし、それより大きい救いがあります。クリスマスの話はそれを教えます。

キリストがベツレヘムの市民として登録された時、「イエス《と言う吊前が与えられました。その吊前の意味とは「主なる神様は救う《です。即ち、私達を罪から救う事です。罪とは、私達を神様から遠く離すものです。しかし、キリストの誕生、苦しみ、死と復活によって、この世界の人間になったイエス・キリストによって、神様は完全に私達と共に来られました。罪の壁が無くなりましたので、私達はもう神様から離れていません。それは完全な救いです。それはクリスマスのメッセージです。これは私達のお祝いの理由です。

もしイエス様がベツレヘムで登録されましたら、私達はどこに登録されているでしょうか。私達は「命の本《に登録されています。聖書の黙示録はこの表現を使います。イエス様がこの世界の国民として登録されたように、私達は天国の国民として登録されています。洗礼を受ける時、私達は神様の子供達として認められています。ヨハネの福音書はこのようにそれを言います、(1:12)「言[即ち、キリスト] は、自分を受け入れた人、その吊を信じる人々には神の子となる資格を与えた。《それで、クリスマスは、私達の誕生日会にもなります。それで、クリスマスの時に私達がプレゼントを受ける事が尚更にふさわしいでしょう!

皇帝(こうてい)カイザル・アウグストゥスは、全世界の人々を自分のローマ帝国の国民として登録しようと思ったでしょう。イエス・キリストは、全世界の人々を御自分の天国の国民になるようになって欲しいと思います。それはクリスマスの意味です。ヨハネの福音書はそれをこのように表現します:(1:14)「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


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