律法と福音

2017年11月12日


目標:神を恐れ、愛する事
問題:私達は罪や地獄の危険が分からない事
解決:イエス様は罪の危険が分かって、十字架を背負った事

今年はルーテル教会の宗教改革500周年ですので、宗教改革時代の大切なテーマについて説教したいと思いました。今までは、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、聖書のみ、免罪符そして「同時に聖徒と罪人《について話しました。今日のテーマは、『律法と福音』です。

最初に神学大学に入った時、皆は『律法と福音』についてばかり話していたみたいでした。律法だけではなくて、福音だけではなくて、律法と福音をいつも一つの組として考えていました。ほとんどのクラスを始め、学校の礼拝の説教もそうです、『律法と福音』。マルテン・ルターの時代から現代まで、これはルーテル教会の神学の中心的な力だと分かってきました。その二つをばらばらに離なす事が出来ないと同時に、二つ共、はっきり区別しなければなりません。律法は人が福音を欲しがらせますが、律法は決して人を救う事が出来ません。そして、決して福音を新しい律法にしてはいけません。

『律法と福音』の区別を説明するには、マルティン・ルターの「小教理問答書《の解説のテキストの質問第85番を読みたいと思います。


85、問い、律法と福音はどのように違いますか。
答えA、律法は、私達が何をすべきか、何をしてはいけないかを教えてくれます。
福音は、私達の救いのために、神様が何をして下さったか、また今でも、なさっておられるかを、教えてくれます。
答えB、律法は私達の罪と神の怒りを示してくれます。
福音は、私達の救い主と、神の恵みを教えてくれます。
答えC、律法は、すべての人々、殊に(ことに)悔い改めない人に、告げられています。
福音は、[すべての人々に、] 罪のために悩んでいる人々に、伝えるべきです。

神学大学で、『律法と福音』は聖書を理解する方法やルーテル教会の信条を理解する方法、又、説教する方法、教える方法、カウセリング方法でもありました。神学大学だけではなくて、ルーテル教会の出版社であるコンコードイア社の教会学校のレッソンも、このテーマについて書かれていました。福音だけではなくて、律法だけではなくて、一組です。

今日は、どのように説教の中で使うかについて話したいと思います。もしあなたはいつか、日曜日の礼拝の話をする必要があれば、あなたの証の為に、今日のヒントを覚えておいて下さい。

説教学校101

先ず、聖書のテキストを読んで、それを瞑想して(メデテイション)、祈って、よく考えます。そして、どのように、説教の形で神様から来る御言葉を伝えるかよく考えます。そして、アウトラインを書く前に、3つの事を紙に書きます。

目的、問題、解決。又、PPP:Point, Problem, & Power. 

又、病吊と治療。 又、律法と福音。

理解しなければならないのは、神の律法とは、十戒だけではありません。律法が表されるのは、戒めが守られていない時です。罪、死、痛み、憎しみ、心配、上信頼等などは、病気の症状のように、その問題を先ず理解してから、治療である福音を効果的に与えます。そして、福音はその問題に答える為に述べ伝えますが、福音とはいつも十字架です。十字架が表して与えるのは、イエス・キリストの愛と希望と赦しと平和です。そして、聖霊は私達にこの律法と福音のメッセージを伝えるのは、神の御言葉によるのです。即ち、読まれて、話されて、教えられて、説教されて、会話で話されて、水にかけられて、食べられて、飲まれている御言葉です。

今日の説教の最初の頁の上に、このように書きました:
目標:神を恐れ、愛する事
問題:私達は罪や地獄の危険が分からない事
解決:イエス様は罪の危険が分かって、十字架を背負った事

もう一つの簡単な説教の例をあげましょう。[“PPP”] Point: 隣人を愛するように, Problem: 私達は他の人を憎んで, Power: イエス様は私達を愛する。

①勿論、神の律法は私達が隣人を愛するように命令します。私達がそれをしないので悪いです。②しかし、問題はそれより深いです。私達は隣人から引っ張られていますので、喧嘩と戦い、殺人もあります。③しかし、問題はなお更にひどいです。隣人を愛さない時、私達は神様をも愛さないので、神様から離れ、天国に入れないので、地獄です。                 ①②③④⑤⑥ ④この点では、私達を助けられるのは、イエス・キリストの福音だけです。その十字架上での死によって、イエス様は地獄に行って私達を探して見つけました。私達は神様の愛を見ます。そして、イエス様の復活によって私達も復活します。⑤明くるなります。イエス様とつながれていますので、今度、他の人ともつながれる事が出来ます。イエス様は悪魔と戦ったので、私達は隣人と戦わなくて良いです。⑥それで、最後の結果はよかったです。キリストの愛の中で、私達は隣人を愛する事が出来ます。

③番目のポイントで終わりましたら、律法ばかりの厳しい説教です。良い説教とは、③番目から④番目に橋をかけて、聞く人の心と思いを人生に話します。

神学大学の説教のクラスで、雑誌やテレビの報告を良い説教の模範として勉強しました。例えば、歯磨きのCMは、何を売りたいと思うでしょうか。ロマンスです。問題とは、黄色い歯や臭い口だけではありません。本当の問題とは、それがあるので、友達がいない事です。その歯磨き財は、福音のように、歯をピカピカにして、口はミントでリフレシュになって、綺麗な笑顔ですぐ恋人を得るでしょう!車のCMは何を売りたいでしょうか。君はつまらない毎日の中で、テレビのCMを見ますが、福音のように、私達の車は、あなたの人生に自由と冒険を与えますよ!教会は何を売りたいと思うでしょうか。教会は何をあなたにあげたいと思うでしょうか。教会の商品は、ただ一つしかありません。イエス・キリストの十字架と復活です。神様の律法があったので、十字架が必要でした。復活は純粋な福音です。

あなたは、説教壇の所に立って説教をしなくても、神の御言葉を聞く必要とする人に話す事があるでしょう。人が苦しんでいる時、悲しんでいる時、もう既に、神の律法の結果を心で感じるでしょう。そのような人は、ただ、簡単に、神の愛について聞く必要があるので、神の愛の福音を話しましょう。しかし、がんこな人は自分の振る舞いの結果が分からない時、その人に厳しい律法を話す必要があります。子供や親や牧師も、自分にかけられた律法と福音が必要です。愛を持って話されましたら、愛を持って聞かれましたら、福音のように聞きます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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