宗教改革説教シリーズ#3 
Solus Christus-キリストのみ

2017年10月15日

宗教改革時代以来、この500年で、ルーテル教会にとってとっても大切なテーマがいくつかあります。“恵みのみ、信仰のみ、キリストのみ、聖書のみ”です。今日、キリストのみ、ラテン語では、“Solus Christus”と言います。A. 「キリスト」とは何ですか。B.どうして宗教改革時代にこのテーマが大切か。 C. どうして今も私達にとって大切かについて話しましょう。

A. 「キリスト」とは何ですか。ギリシャ語では「キリスト《で、ヘブライ語では「メシア《です。二つ共の意味とは、「油にそそがれた人《です。旧約聖書では、人が王様や祭司や預言者などの、仕事を受ける儀式の時に油が使われていました。香水のようですが、人の皮膚に入り込む時、神様の祝福の祈りもその人の心に入り込みます。新約聖書では、「キリスト《と言う言葉はイエス・キリストを意味します。彼こそが聖霊によって、油そそがれて任命されたた人です。彼の仕事、任務とは、救い主になる事です。イエス様がキリストである救い主であるのは、彼は三位一体の神の第二人格であるからです。イエス様は神であり人間です。それで十字架上で、すべての人間の苦しみを受ける事が出来、世の罪を赦す完全な犠牲になる事が出来ます。そして、彼の復活によって、死と悪魔に勝って、永遠の命を与えます。それこそは、油にそそがれた人の任務です。[参考:詩篇3篇。]

B. 宗教改革時代、キリスト教会の中にいるすべての人が知って信じたのは、キリストは彼らの罪の為に死んで、彼らの救いの為に復活した事です。しかし、それでは足りないと思いました。キリストの働きだけでは救いの為に充分ではないと思いました。キリストの働きに、人が自分の働きを加える事が必要と思いました。その働きとは、良い業で,慈善、祈り、礼拝、献金、良い生活ぶりなどです。それで、救いはキリストプラス、ぼくです。それで、マルテン・ルターや他の宗教改革者達は「キリストのみ《と話した時、問題になりました。“恵みのみ”と“信仰のみ”のようです。勿論、キリスト信者は良い業をして良い隣人になろうと思いますが、それが私達を救いません。それは救いの結果です。キリストが私達を救って下さったので、私達は良い業をします。それで十分です。私達は十字架上で死ぬ事が出来ません。私達は悪魔と戦う事が出来ません。全能の神であるキリストのみが、それを出来ます。そして、神であるので、私達を救う為の働きは十分です。私達の働きには救いの力がありませんが、隣人や家族やこの世の為に必要です。

では、聖徒の働きはどうでしょうか。とっても良い人だったので、自分を救う為に、それ以上多くの良い業をしたので、もしかしたら、私達が彼らの余った良い業を受けて、自分のアカウントに加えるでしょうか。それでしたら、キリストのみではなくて、キリスト+自分の好きな聖徒、キリスト+マリア、キリスト+煉獄、キリスト+良い業です。しかし、キリストには手伝う人が要らないとルターは言いました。イエス様だけで十分です。勿論そうです、イエス様は全能の神であるからです。そして同じように、私達は聖徒達に祈る必要がありません。直接にキリストのみに祈ることが出来るからです。
第一テモテ2:5、「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。《
ヨハネ14:6、「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行く事が出来ない。《


C. どうして今も私達にとって「キリストのみ《が大切でしょうか。先週、あるルテール教会のニューズレターには、このように書かれていたのです。「今年、ルターがその95か条を貼る、500年目を記念しますが、アメリカのプロテスタント信者の半分以上が、救いの為に良い業も信仰も必要であると言う。《「“何も加えないキリストのみ”と言う事に忠実にしなければ、教会のメッセージは、簡単に“業による儀”になる。《「キリストのみではなければ、イエス・キリストの死と復活による新しい創造の約束を信じる信仰から、自分をはずして自分を正しくしようと思う事は、むなしくて、滅びる道だ《と。

私達ルーテル教会の人として、これはただ頭で考える知識ではありません。私達の生き方です。先ず、自由です。キリストによって救われています。“インマヌエルと呼ばれる”キリストが私達と共にいます。私達は洗礼を受けます。聖餐式によって、私達の罪を赦す契約の約束を結びます。これは完全な救いです、キリストだけによる救いです。

人生には、独りで、又は他の人の助けによって出来る事があります。食べる事、働く事、勉強、遊び、物を作る事、人を愛するなどです。人生には問題がある時、薬を飲んだり、人と話し合ったり、戦ったり、逃げたりする事が出来ます。しかし、キリストだけが解決する事が出来る大きな問題があります。即ち、罪と死と悪魔の3つ折の問題です。神であるキリストのみが私達の罪を赦す事が出来ます。神であるキリストのみが私達を世の最後の日に復活させられます。神であるキリストのみが悪魔と地獄を征朊する事が出来ます。

マルテン・ルターの「力なる神は《と言う賛美歌が私達に教えるようです。私達の一番恐ろしい敵とは悪魔です。悪魔の武器とは、恐れ、疑いと心配です。私達の為に戦う事が出来るのは、キリストのみです。私達のチャンピオンで、私達の救い主です。この世の悪が私達の所に来ます。人間が起こす悪も山火事や洪水などの天災も来ます。私達のすべての物をうばって取ってしまいます。財産や家や家族や吊誉や健康もなくなりますと、残るのは、キリストだけです。それは純粋な福音です。何も加えていない純粋な福音です。キリストのみです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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