宗教改革が続きます

2016年10月30日
宗教改革主日

1517年10月17日に始まった改革はまだ終わっていなのいで、その改革は続いていますし、続けなければなりません。毎年新しい話題や、新しく強調する点がありますが、中心的なメッセージが同じです、即ち、地上にある神の教会が絶えず改革されなければならない事です。即ち、イエス様が言われた通りをする事です、「悔い改めて福音を信じる」事です。それは「宗教改革」の言葉の意味です。

1517年に、有名な95ヶ条を書く時、マルチン・ルターは、大事な課題について論じ合いたいと思いました。その課題とは、罪の赦しでした。ルターが言うのは、赦しは、イエス・キリストを信じる信仰によってだけ与えられ、お金で買うことも、自分のよい行いによってでも、他の人に代わって買う事も出来ない事です。罪の赦しはキリスト教会の中心の教えです。これは十字架の意味です。私たちが隣人を愛する事はとっても大切ですが、キリスト教会の一番大事な教えではありません。私たちが隣人を愛する事ではなくて、むしろ、神様が私達を愛して下さって、ご自分の御子イエス・キリストを私達の罪を赦す為に十字架上で死ぬ為にこの世に送って下さったことです。

人間の罪や悪魔の働きの為に、又、自己中心的な思いと約張りの為に、教会の中にいる人は、私達のキリスト教の中心が十字架であることを忘れます。これを忘れますと、いろいろな問題が起こります。先ず、イエス様の代わりにほかのものを大事にします。そうなると、キリストはもう必要ではありません。フォーカスを自分に合わせてしまいます。癒しが欲しい、金持ちになりたい、家族が幸せになると自分も幸せになります。人々が、自分の救いと永遠の命が自分の良い業や、自分の良い聖書の理解や、隣人を愛する事によると考えますと、イエス・キリストがもう必要ではないので、キリスト教会も、もう要りませんので悪魔の勝ちです。

その時、私達には改革が必要です。

1517年、マルチン・ルターがローマにあった教会の本部を非難しました。2016年、人々は違う所にある教会の本部を非難します。例えば、東京やセイントルイスやシガゴや、更に、自分の地域chiiki教会をも非難します。1517年、ローマのカトリック教会と東方の教会しかありませんでした。現在は、何千ものプロテスタント教会があります。この多くの宗派が生まれたのは、人が教会を改革したいと思ったからです。人は自分のプロテスタント宗派や自分の地域教会を良くしたいと思ったからです。ある時、マルチン・ルターと宗教改革の魂があれば、ある時やり過ぎでした。しかし、罪や悪魔が教会を攻撃する時、その時新しい改革が必要です。

マルチン・ルター自身は教会を非難する本を沢山書きましたが、ルターの一番好きな本とは、小教理問答書でした。これが彼の一番大切な本であるのは、本当に教会を改革したいと思いましたら、先ず、人々の心を変えなければならないからです。聖書の言葉で言うと、それは悔い改めです。本当の悔い改めの為に、先ず、私達が神様の事を知る必要がありますし、又、自分の罪について知り、イエス・キリストによる神様の愛について知ることです。また神様の恵みを知り、洗礼や聖餐式による神様の恵みと赦しを知る事が必要です。マルチン・ルターにとってキリスト教会的な教育が大切でした。今現在も大事です。ですから、教会学校と聖書の学びと堅信式と説教があります。

毎週の日曜日は小さな宗教改革です。礼拝の始めには、罪の告白、悔い改めと赦しがあります。私達の毎日の生活の中で、どんなに十字架から迷いでてしまったかが分かります。ですから悔い改めます。自分の力によって、私達は神様の所に帰る事が出来ないので、十字架の言葉が必要です。罪の赦しの言葉は、純粋な福音の宣言です。即ち、イエス・キリストが私達の罪を赦す為に十字架上で死んで下さった事です。こんなに簡単です。これは、私達の人生を変える力です。その力によって、私達は神様を愛し、隣人を愛し、家族を愛し、キリストによる兄弟姉妹を愛し、又、敵をも愛します。それは、私達がまだキリストの罪深い敵であった時にも、キリストが私達を愛して下さったからです。

これは教会を改革する出発点です。あなたと私には、多分、大きい教団の組織を変えるにはあまり力がないと思います。しかし、私達の地域教会を改革する力があります。十字架の力を持って、キリストによって赦されて、他の人を赦し始めます。先ず、自分の家族、友達、そして、教会の友達を赦します。もし、すべての教会が、宗教改革主日にこの事をしましたら、全世界の教会が改革されるでしょう。その時、キリストの十字架が高く上げられるでしょう。そして、十字架の苦しみも、その栄光をも:その恥も、その誇りをも:悪に対する滅びも、人に対する神様の愛と救いも、十字架にこのものを見る事が出来ます。

ですから、宗教改革が続かなければならない事です。全世界の教会も、私達の心の中の改革もです。その改革の力とは、イエス・キリストを信じる信仰による、神様の恵みによる罪の赦しです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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