ピースから平和へ #1

2013年12月1日  アドベント第一主日

今年のアドべントとクリスマスの為に、一つの説教のテーマが欲しいと思いました。幾つかの素晴らしいテーマやトピックスがあります:希望、喜び、愛、平和などです。「平和」のテーマに決めたのは、英語の「平和」と言う言葉は「ピース」で、ほかの英語の言葉の「ピース」と同じ発音するからです。最初の「ピース」とは、すべては平和的で、完全に安定している状態です。もう一つの「ピース」とは、全部がばらばらになった、散らされた、崩された、壊れた断片です。私達やこの世に平和が無い理由とは、すべてがばらばらの断片(だんぺん)「ピース」のようになったからです。私達の人生、私達の国、自然環境、私達の心、私達の家族、私達の健康、私達の救いです。それで、今年のアドベントのチャレンジとは、私達のばらばらになった世界と心に、どのように誠の平和をもとらすか。クリスマスの天使達が歌いました、(ルカ2:14) 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」私達はその平和を見つけられるでしょうか。

ジグソー・パズルには、多くのピースがあります。全部を合わせますと、完全な絵が出来上がります。完成の時には気分が良いでしょう、何かが出来た満足感と、安心です。私達の想像を利用して、この世界を神様の大きなジグソー・パズルのように考えましょう。

創世記1章は天地創造を教えます。6日間で、6つのピースで、神様はこの世界を組み立てられたようです:光、大空、植物、星、鳥と魚、動物と人間です。出来上がったパズルを見て、神様はそれが良かったと告げました。それはエデンの園でした。人間と動物の間には平和があって、お互いに恐れがありませんでした。その上、エデンの園の中の働きはつらい訳ではなく、楽でした。そして創世記3章で、サタンはそのピースの意味を変えたので、初めて、この世に誘惑と罪が入って来ました。しかし神様がこのパズルをばらばらにして、作り直しませんでした。けれども、新しいピースを加えました。それは罪を制限する為に、人が死ぬ事になりました。人間がいつまでも生きないので、その人がいつまでも罪を犯し続けません。

創世記6章になりますと、人間は地上に増えました。しかし、人間の罪と悪の為に、この綺麗な世界がばらばらになりました。神様はこの地球を、完全に百万のばらばらの小さいピースに散らしませんでしたが、洪水を送って新しく始めました。そして洪水の後に、罪を制限する為に、新しいピースを加えたように、人間の人生が120年となりました。

創世記11章になりますと、人間は再び地上に増えました。そして、人のプライドと野望(やぼう) と愚かさも増えました。バベルの堵はその例の一つです。それで、人間を人間同士から守る為に、人々の言葉を混乱させました。今度テーブルの上から床に落ちて散らされてしまったジクソー・パズルのように、人々が全地に散らされてしまいました。

今度、神様は一枚のピース、即ちアブラハムと言う人を取って、この世を再び組み合わせようと思いました。創世記12:2-3が言います、「私はあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。 あなたを祝福する人を私は祝福し/あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族(しぞく)はすべて/あなたによって祝福に入る。」

アブラハム、イサク、ヤコブ、イスラエルの12部族、イスラエルの国です。しかし遇像礼拝の為に、神様はその民を散らさせて、捕囚に送りました。しかし、神様は御自分の約束を覚えて、再びのスタートさせる為に、その民をエルサレムに戻しました。

これで、私達は神様の愛と約束を守る性質を見ます。罪によってこの世がばらばらのピースになっても、神様の愛は、何回もこの世を再び立て直します。そして、イエス・キリストによって、神様は新しい方法で物を組み合わせます。罪を罰するよりも、神様は罪を赦します。この世を破壊して人間を罰するよりも、神様は新しい創造を始めます。人間が死ぬよりも、イエス様は御自分の上に人間の死をとります。この新しい方法で、罪と死と壊れた関係を乗り越えます。この神様の働きを説明する為に教会の教理の教えの中には素晴しい言葉があります:「贖い、和解、犠牲」です。しかし、クリスマスの時期になりますと、その難しい言葉を使いません。簡単な分かり安い言葉があるからです。即ち「平和」です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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