聖霊とバベルの塔

ペンテコステ主日、2010年5月23日
旧約聖書の日課、創世記11:1−9
新約聖書の日課、使徒言行録2:1−21

使徒2:1−4
2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

聖霊が来られるのは、激しい風が吹いて来るような音と共にでした。その音とは嵐のよう、竜巻のよう、台風の音のようでした。風の音は様々です。笛の音や電話の配線の振動の響き、狭い所を通る轟です。物を割って、物をきます。風が吠えます。風を見る事は出来ませんが、風があると分かります。自分の家がしっかりと作られても、実際にその風を体で感じなくても、台風が来るとそれが聞こえて、その力が分かります。恐れと興奮と物珍しさもありますので、じっとテルビの天気情報を見ます。聖霊の下る事は同じです。

そのペンテコステの風には、嵐の色々な雑音がありました。うなるような、悲鳴を上げて、とどろく様な音で、 完全にメチャメチャな音でした。しかし、弟子達の上に降りると、秩序があり、はっきりとした福音の御言葉を語りました。そして、それを聞く誰もが理解する事が出来ました。このようにして、聖霊は、救いの福音のメッセージが全世界の人々の為であると述べ伝えました。神様の愛にあるすべての人々の一致を述べ伝えました。

ペンテコステは、バベルの塔の逆です。

創世記11:1−9
11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。2 東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。4 彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、6 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。7 我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」8 主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

ペンテコステは、バベルの塔の逆です。バベルの塔の時、神様は人間の言葉を混乱させました。それで人が完全な一致にならないように、プライドが高くなりすぎない為でした。プライドの問題とは、彼らは天まで届く塔を作りたいと思った事です。そのような塔は神殿のようです。そのような神殿の塔から彼らは神様を支配して、全世界を支配する事が出来るでしょう。限りのない罪を初め、神様に対する反逆です。ですから、その町を見る為に、正しい裁きをする為に神様は天から降りて、その町に行きました。彼らの言葉を混乱して、彼らを全地に散らしました。ある人の解釈では、言葉を混乱させることは人間に対する呪いであり、ある人は罪をコントロールする為の神様からの祝福と見ます。

ペンテコステはバベルの塔の反対です。バベルの人たちは、素晴らしい塔を作れば、町が有名になって、自分達の町の名前も有名になって、安全になると思いました。自分達の力と評判が自分達を救うと思いました。しかし、ペンテコステにペテロは良い知らせを述べ伝えました。その福音とは、聖霊が人々にナザレのイエス様を信じる信仰を与える事です。ペテロは旧約聖書の預言者ヨエルを引用しました。『主の名を呼び求める者は皆、救われる』(使徒2:21)。バベルの人々が求めた一致と統一 がイエス・キリストの中に見つけます。

今日はペンテコステです。今日はバベルの塔の反対です。問題とは、私達皆は天国に行く為に自分の塔と作ろうと思う事です。私達はその昔の罪を繰り返します。自分の塔を作る為に、よく使われているレンガがあります。一番よく使われた物とは、良い業のレンガです。良い業を沢山積み上げましたら、自分が天国に行けると思う事です:やさしい人で、十戒を守ったりする事です。この塔はどんな宗教でも使う事が出来ます。なぜなら、そこにはイエス様が要らないからです。又お金のレンガがあります。教会に、又好きなカルト集団に献金したら、エレベーター形式で天国に行けると考えます。しかしイエス様が十字架上にかけられた時、お金は一銭もありませんでした。私達の為に流された尊いキリストの血によって私達の救いを買いました。又、知識のレンガがあります。小教理問答書を学ぶ人は、それについて注意をしなければなりません。聖書の本の名前を暗記して、有名な聖句を暗記して、十戒、主の祈り、キリストの二つの性質、キリストの三つの職務、四つの福音書等を覚えます。しかし、小教理問答書のクラスの最後のテストは、天国に入る為の試験ではありません。テストの質問が一つしかありません。それは、『あなたはイエス・キリストを自分の救い主として信じますか』と。答えがよく分かれなければ、聖霊は正解を静かにあなたの心の中にささやきます。

又、聖霊は激しい風の嵐と燃える火のように来られて、あなたに真理を啓示します。私達は天まで届く塔を作りません。神様は地上に来られます。それは、クリスマス、聖金曜日、復活際、ペンテコステと再臨のメッセージによってです。私達の心の中に聖霊は御自分の住まいを造って、私たちといつも共にいてくださいます。

今日のペンテコステの主日で聖霊は私達に下ります。激しい吠える風の音によって来ないで、私達が聞いて理解する事が出来る言葉によって来ます。私達は聖書を読んで、賛美を歌い、祈りをし、式文を唱えます。聖霊が私達に語りかけますので、理解するのは、文法と単語の意味だけではありません。私達は福音を理解します。聖霊が私達に話しますので、私達は神様の愛を見る事が出来ます。私達は罪の赦しをもらいます。私達は自分の信仰を告白します。自分の信仰を再び確認します。そして、聖餐式によって、救いの契約を再び確認します。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(2コリント13:13)

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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