バベルからペンテコステへ

ペンテコステ、2007年5月27日

創世記11:1ー9

世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

使徒2章

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。

 

神様は高い天国から見下ろして、はるかに遠い所のシンアルの地の平野(へいや)で何かの建設が始められているのを見ました。それは天まで届く塔のはずでしたが、天国の神様に届くには、とっても低いでした。まるで、小さくて目えないので、神様は天から降りて、人々が造った町と塔を見に来られました。人間は大きな塔を建てようと思いましたが、悪い建設の材料を使いました。丈夫な石の変わりにレンガを使い、コンクリートのしっくいの代わりにアスファルトを使いました。アスファルトが物を一時的に接続(せつぞく)させる事が出来ますが、暑い中東の夏になりますと、その塔は崩(くず)れてしまうでしょう。

ピラミッドのような物を含め、昔の時代の塔の上には、神殿や犠牲の為の祭壇がありました。もしかしたら、バベルの人々は、自分の塔が天に届くように造ったのは、その理由かも知れません。もしその神殿が異教の宗教の礼拝の為でしたら、神様はその塔の建設が嫌いでしたでしょう。人間のプライドと野心が危ないと神様は思いました。それで、お互いの言葉が聞き分けられないように、神様は彼らの言葉を混乱(こんらん)させました。このようにして、人々はその塔と町の建設をやめてしまい、全地に散(ち)らされました。言葉の混乱は呪いのようですが、同時に、人間のプライドと罪を防(ふせ)ぐ為の祝福にもなりました。

しかし、人々が全地に散らされて行くと同時に、罪も、全地に散らされました。プライドの罪も全地に散らされました。人々は自分の国、自分の人種(じんしゅ)、自分の文化にプライドを持ちました。又、偶像礼拝も全地に散らされてしまいました。

そして、イエス・キリストが来られました。ヨハネ3:16の福音の良い知らせはこれです、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」「神は世を愛された」と。それで、神様は再びこの世に降りて来られました。神様の愛はバベルの呪いを逆にして、この世を一つにします。この愛で、世界中で使う新しい言葉を作る事をしないで、神様はすべての人々に自分達の言葉で話す事です。これは使徒行伝2章のメッセージです。

バベルの塔の代わりになった塔とは、十字架の塔です。それが上に上げられた物です。十字架の塔が天国に届く訳ではなく、むしろ十字架は、天国がこの世に届く場所です。十字架上で、全能の神様であるイエス・キリストは、地上に降りて来られました。ご自分の上に世の罪を取って、その罪を赦す為に死ぬ事によって、イエス様は、バベルの塔が出来なかった事をしました、即ち、信者達にご自分の名前を与え、ご自分から散らされないように、永遠の命を下さいました。

この世は、まだ、多くの国語や文化や偽の宗教によって散らされています。私達、一人一人の人生にこの影響があります。プライドは、即ち、他の人のプライドも自分のプライドも、私達の人生に影響を与えます。それで、他の人を恐れますので、いじめと差別と憎しみがあります。自分を守る為に、又、他の人を入れないように、自分の塔を建てます。しかし、神様は私達の塔を破壊(はかい)します。何故ならば、悪い建材で作られているからです、即ち、自己中心的な愛、プライドと罪によって立てられているからです。

塔は落ち、教会の塔も落ちるでしょう。しかしキリストの十字架は永遠に立ちます。十字架は天国に届き、私達を天国に送る塔です。

ペンテコステには、聖霊はすべての国々の人々を集めて、イエス・キリストの福音を宣べ伝えます。今日の礼拝と祈りの中でそれをおぼえます。福音が自分の理解する国語で話されている事を主に感謝します。

アーメン。

どうか、主の恵みと平和がありますように。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

ニアフッド牧師の説教