主の平和

2013年5月5日


ヨハネ 14:23-29 イエスの約束
14:23 イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。14:24 わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
14:25 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。14:26 しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。14:27 わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。
14:28 『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。14:29 事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。

私は「ピース」の挨拶が好きです。勝利の「ビクトリー」の「V」サインをすることも楽しいと思います。戦いの後に勝利、そして最後に平和が来ます。あるキリスト教の芸術の中では、甦られたイエス様は「ピースサイン」をしています。御手を上げると、イエス様を十字架に付けた釘の後をその手の平に見る事が出来ます。十字架と死を通す事だけによって、イエス様は死や悪魔の上の勝利を得たので、誠の平和を下さいます。その平和は、赦しと和解によって来ます。その平和の時に、敵がもう戦わないし、人間と人間の間には憎しみがないし、神様と人間の間にも争いがありません。それで「ピースサイン」は祝福を与えるサインです。

イエス様は弟子達に言われました、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」弟子達の心と思いが非常に騒がせられて、非常に恐れているとイエス様は分かりました。これは、イエス様が逮捕され、殺された前の日の晩でした。弟子達は、ユダヤ人がイエス様を殺そうと計画していたと分かりました。ですから、イエス様の事も、イエス様の弟子であることから、自分達の事も恐れました。御自分の死と復活と昇天についてのイエス様の話が、分からない弟子達がいました。イエス様が旅に行って帰るだろうか、エジプトのような安全な所に逃げるだろうか、死んで世の終わりに戻るだろうかなど考えたでしょう。しかし、イエス様は御自分の死、復活と昇天を話しました。その出来事の後で始めて弟子達は理解しますが、今の時点では、心が混乱して恐れました。ですから、今の為にも、昇天してからの時も、平和を弟子達に与えなければなりませんでした。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」この世が与える平和は勿論ありがたいものですが、イエス様が約束するものははるかに良いものです。この世の平和は、次の戦争までしかありしません。今度誰かと喧嘩するまでしかありしません。今度病気になるまでしかありしません。ある人によりますと、この世の中には平和が決してない、死ぬまでに平和がないので、墓石に「平和の休み、安らかに寝る」と書きます。それは悲観的すぎると私は思います。この世は平和を与えます。例えば、ポケットにお金があれば、健康保険があれば安心です。どんな問題があっても、あなたを助けて下さる友達や親がいると分かれば、安心です。人は多くの所に平和を捜します:自然の中に、スポーツの中に、娯楽の中に、宗教の中に、身の上相談の中に、趣味の中にもです。

イエス様が与える平和は違います。世の平和は、争いと争いの間の静けさでしたら、イエス様は争いの中の静けさを与えます。詩編23編が言うようです、「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。」イエス様が私達と共にいるので、平和があります。自分が一人ではないので、安心があります。今日の福音書の中では、弟子達、ですから私達も、決して独りではないとイエス様は言われます。イエス様が彼らと共にいます。父なる神様も彼らと共にいます。聖霊も彼らと共にいます。そして、これは時々だけではありません。私達が祈っている時や教会に通っている時だけではなくて、イエス様がいつも私達と共にいます。イエス様が話した表現が好きです、「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」「その人のところに行き、一緒に住む」という言葉が好きです。キリストは、私達の人生に時々来るお客様ではなくて、定住者です。私達の心は聖霊の住まいです。エペソ2:22,「キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。」聖霊は、会社の転勤族のサラリーマンのようではありません。私達の心の中に仕事があり、そこに残ります。仕事の環境が悪くならば、経済状態が悪い時、働く人はよく移動して、新しい仕事を捜します。しかし、私達の心の状態が悪い時、その時こそ、聖霊はよく働いて下さいます。問題がある時、淋しい時、心配する時、病気になった時、争いや戦争がある時こそ、聖霊が働きます。自分には価値が無いと思いまして、自分の罪が聖霊を自分の罪深い心から追い出すと感じるかも知れませんが、聖霊の働きとは、私達を聖なる者にする事です。これをするために、聖霊は、御言葉と聖礼典において、イエス・キリストによる罪の赦しを述べ伝えます。信仰によって、私達はキリストの恵みを受け入れます。今日の福音書の表現は、「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」教えて思い起こさせて下さるのは、福音です、即ち、御自分の死と復活によってキリストが私達の為になさった良い知らせです。そして、これこそが私達に平和を下さいます:神様との平和、自分との平和、他の人との平和です。

キリストの平和は、この地上の戦争や貧困や病気や欲張りを終わらせるでしょうか。最終的にはします、聖ヨハネがその天国の幻を見て、黙示録21章22−27節で顕わしました。この地上に、その天国的な平和が来るでしょうか。来ましたら、この古い世は去って、新しい世は天国の一部になるでしょう。それはキリストの働きで、キリストにまかせます。しかし、キリストは私達にその幻を与えられました。私達がこの戦争と憎しみと病気がある罪深い世の中に今住んでいますが、聖霊は私達に福音を教えて、神様の愛を思い起こして下さいました。この愛があるので、キリスト信者は他の人を愛します。この愛のために、私達は世界平和の為に働きます、すべての形の平和です:大きなものも小さいものも、物質的なものも霊的や感情的なものも、個人的なものも、全世界のものもです。

最後に、「ピースサイン」をどのようにしますか。「Vサイン」でしょうか、それとも 十字架のサインでしょうか。

どうか、人知ではとうてい測り知る事の出来ない、神の平安があなたがたの心と思いとを、キリストイエスにあって守るように。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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