オネシモの為の懇願の手紙

2019年9月8日

第2朗読  フィレモン1~25(新399)

1キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、 2姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。 3わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

4わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。 5というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。 6わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。 7兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

8それで、わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの吊によって遠慮なく命じてもよいのですが、 9むしろ愛に訴えてお願いします、年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっている、このパウロが。 10監禁中にもうけたわたしの子オネシモのことで、頼みがあるのです。 11彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。 12わたしの心であるオネシモを、あなたのもとに送り帰します。 13本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、 14あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです。 15恐らく彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません。 16その場合、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。 17だから、わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください。 18彼があなたに何か搊害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。 19わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。 20そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。 21あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。

22ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。23キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。 24わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。 25主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。

新約聖書の中には、短くて綺麗な手紙があります。聖パウロから友達であるフィレモンへの手紙です。先ず、その手紙の背景を見ましょう。そして、現代の私達の為のアプリケーションを見ましょう。

聖パウロは3回の宣教の旅をしました。現代のトルコの国の地方でコロサイと言う町でフィレモンと言う人と会いました。聖パウロはフィレモンに洗礼をしました。その地方のキリスト信者達はフィレモンの家で集まりました。家の教会のようでした。その時、青年オネシモが聖パウロと最初にあったでしょう。オネシモがパウロを知るのは、オネシモはフィレモンの家で働く、フィレモンに使える奴隷でした。オネシモはまだ洗礼を受けていませんでした。

数年後、パウロはローマの牢屋rouyaにいました。ローマの皇帝に会う為にローマに送られました。捕toらわれていても、友達のマルコやルカなどと自由に会う事が出来ました。ローマで捕らわれている時、パウロは再びオネシモと会いました。オネシモは、自分の主人フィレモンから逃げたらしいです。又、ローマに逃げる為に、お金をフィレモンから盗んだらしいです。とにかく、ローマにいる時、オネシモは再びパウロと会いました。そこで、オネシモはキリスト教に改信して、多分パウロから洗礼を受けたでしょう。それで、オネシモをこのように呼びました、「監禁中(かんきんちゅう)にもうけた私の子オネシモ《と。パウロは彼を本当に愛しました。

現代の刑務所は、昔の牢屋に比べましたら、上等なホテルみたいです。昔は、牢に入れられた人の家族や友達は、彼に食べ物を持っていったりして彼の面倒をみました。それで、オネシモは、以前、自分の主人ピレモンに仕えたと同じようにパウロに仕えたみたいです。それで、パウロはオネシモの吊前のごろあわせをしました。「オネシモ《と言う吊前の意味とは、「役に立つ《・「便利《です。それでパウロは書きました、「 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています。《と。

もしオネシモが自分に仕え続ける事が出来ましたら、パウロは嬉しかったですが、オネシモは逃げた奴隷であるので、その事が出来ませんでした。

奴隷に対するローマの法律は厳(きび)しかったです。特に、家から逃げ出した奴隷に対して、恐ろしいほど厳しいでした。しかし、パウロはオネシモを主人のフィレモンの所に帰さなければなりませんでした。確かに、オネシモは帰る事を恐れたでしょう。主人に鞭打(むちう)たれるような、厳しい罰が待っているでしょう。ですから、パウロはオネシモの為にこの手紙を書きました、フィレモンがオネシモをやさしく迎えるように訴えました。

やさしくする理由は、先ず、1)洗礼を受けたオネシモは奴隷としてだけではなく、奴隷以上の者、つまり主イエスキリストによって愛される兄弟となりました。2)又、フィレモンの為にもパウロの為にも、オネシモは本当に「役に立つ《しもべとなって帰ります。3)パウロのように、仲間として受け入れて、やさしく受け入れてほしいです。4)オネシモが泥棒(どろぼう)であったとしても、パウロはフィレモンの搊害(そんがい)を弁償(べんしょう)するように約束しました。そして、フィレモンがパウロに対しても負債がある事を思い出させました、なぜなら、彼がパウロによって救われてキリスト信者になったからです。5)そして、最後に、パウロは、このように書きました、「兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、私の心を元気づけてください。《この手紙を良く読みましたら、「行(ぎょう)と行の間を読みましたら《、パウロは、フィレモンが奴隷であるオネシモを自由にさせてもらいたいでしょう。それがこの言葉の目的でしょう。最後に書きました、「あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。私が言う以上の事さえもしてくれるでしょう。《

最後に、オネシモはどうなったでしょうか。フィレモンは彼を家に受け入れたようです。オネシモの事をそのあと聞くのは、40年ぐらい後です。初代教会の指導者であるイグナチウスは手紙をエフェソの教会に書きました。その教会の牧師の吊前は、オネシモです。評判が良い、良く愛された、神様の教会の中でとっても役に立つ者でした。

このオネシモについてのフィレモンに送った手紙は、聖パウロの祈りのようです。私達について父なる神様に祈るイエス様の祈りのようです。私達皆は、その奴隷の青年のオネシモと同じように、反抗(はんこう)的な時期があります。お金を盗んで家から逃げ出して、ついに、迷ってしまいました。しかし、赦しと希望を与える福音を聞いて、家に帰る勇気をもらいました。福音とは、イエス様から父なる神様に書かれた手紙のようです。「父なる神様へ。この愛された子《ーー自分の吊前を入れて下さいーー「この子はあなたの家から逃げましたが、あなたの憐れみをこいねがって帰ります。どうか、この子を赦して下さい。この子の負債(ふさい)を私の勘定(かんじょう)に入れて下さい。私が支払います、金や銀でではなくて、十字架上で流される私の血によって払います《と。

この短い手紙の中で、初代(しょだい)教会の家族のような働きを見る事が出来ます。パウロはその奴隷の青年を愛して、彼の事を心配しました。パウロとその奴隷の主人の間にある、イエス・キリストにあるお互いの愛に基づいて、パウロはオネシモの為に訴(うった)える事が出来ました。この愛は、すべての社会的、経済的、人種的な壁を越える事が出来ました。この愛があったので、イエス様は私達の奴隷になって下さいました。私達に仕える、私達の罪の重荷を背負って、その罪を赦す為に十字架上で死にました。ユダヤ人の裁判も、ピラトの裁判も、イエス様を「役に立たない者《として宣告しましたが、ご自分の死と復活によって、私達にとって、本当に「役に立つ者《になりました。

この手紙は、現在の教会の中の愛も表します。あなたがどこに行っても、あなたは神様の家族の一人です。私達皆は、その奴隷の青年のオネシモと同じように、反抗(はんこう)的な時期があります。まるで、私達もお金を盗んで家から逃げ出して、ついに、迷ってしまいました。しかし、聖霊によって見つけられて、家に帰らされて、主なる神様に再び受けられました。これは赦しと愛の福音によってです。

この愛の力によって私達は帰ります。又、この愛の力によって、ほかの反抗的な奴隷が家に帰る時、私達は彼らを受け入れます。受け入れるのは、彼らが家族だからです。いつも彼らが好きでなくても、彼らは家族です、キリストの家族です。これはキリスト信者達のもてなしの源です。キリストが私達を愛して、私達を受け入れると同じように、私達はたの人を愛して受け入れます。又、その人を手伝って、彼らの為にとりなして祈ります。それはイエス様が私達を助けて、私達の為に父なる神様の御前で仲介者となるからです。

他の人の為に仲介して手伝う時、私達は聖パウロのようになります。オネシモを受け入れたフィレモンと彼の家の教会のようになります。このように、教会や神様にとって、私達は本当に「役に立つ者《になります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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