うるさい愛

2019年2月3日

第二日課 第1コリント12:31b-13:13

教会の中では、よく愛について話します。大体命令のようです。

 モーセは書きました、申命記6:4「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。《

 又、レビ記19:18「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。《

 イエス様は言われました、マタイ5:44「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。《

 聖パウロは書きました、エペソ5:25「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。《

 又、愛の特徴の説明は第一コリント13:4-7「13:4 愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。13:5 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。13:6 上義を喜ばず、真実を喜ぶ。13:7 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。《

普通の毎日の会話の中では、『愛』と言う言葉には、様々な意味があります。例えば、ただ「大好き《と意味します。「オレンジが好きですが、りんごを愛します。《今日は、他の「愛《と言う言葉の使い方を話さなくても良いでしょう。

聖書の中には、「愛《と言う言葉は、ただの気持ちや感情よりも、活動的な動詞です。言い換えますと、愛情を活動にします。隣人を愛するので、彼の為に良い事をします。

聖書のなかには、この感情も活動もは、二人の間の関係に基づいています。愛は絆、約束、ボンドです。それで義務と責任があります。

感情として、愛の反対とは憎みです。関係としては、愛の反対とは、無視、無関心、無関係、無責任です。ですから、愛する人を憎む事が出来ます。人を愛しても、その人の行動を憎む事が出来ます。お父さんは息子を愛しますが、息子の悪い振る舞いを憎む事が出来ます。人を愛しても、怒る事が出来ます。又、その人を愛して、関心を持っているからこそ、腹が立って怒るでしょう。

聖パウロは書きました、13:1、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。《お父さんが愛を持って息子を叱る時、息子の耳には「騒がしいどら、やかましいシンバル《のように響くでしょう。聞いた日本語の言葉ですが、「うるさいお父さんは良いお父さんである《と。

私達の話が、どのぐらい愛がない、無関心の言葉でしょうか。自分の心の中には愛がないので、私達の言葉はただの「騒がしいどら、やかましいシンバル《になる時があるでしょう。ある時、神様のみ言葉でさえも、うるさいと思いませんか。神様の多くのルールと決まりが沢山で圧迫されるでしょうか。特に、自分が憎む敵を愛しなさいと言う命令です。去年の10月、東京ルーテル神学大学の教授江口先生は私達の教会で特別の説教をしました。マルチン・ルターについて話しました。青年のルターは、神様を憎みましたと先生が教えました。ルターは自分の罪を感じて、神様の罰を恐れました。しかし、自分の為にあった神様の愛の絆から逃げる事が出来ないと分かりました。そして、ルターは罪の赦しを見つけました。分かってきたのは、自分の為にイエス様が十字架上で死ぬほど、神様の強い愛でした。この愛を発見した時、罪の重荷、死の恐れ、神に対する憎しみが消えました。この赦しによって、この神の愛によって、ルターの人生が変わりました。私達も、自分の為の神様の愛を知る時、私達の人生も同じように変わります。その時、第一コリント13章で聖パウロが書いた愛を生かします。

私達皆はヨハネ3:16を知っています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。《今日は私達の教会の総会です。今年の伝道の計画を話します。このヨハネ3:16は私達に導きを与えるでしょうか。神様がこの世を愛したように、私達も世を愛します。隣人を愛し、敵を愛し、家族を愛しますので、この世の人々との絆と責任あります。どのようにそれを表わすでしょうか。神様は、この世を愛する事を活動にして、この世を救うために、ご自分の愛する子イエス様をこの世に送る事でした。私達も愛を活動にして、コの私達の周りの世に神様の子イエス様を持って行きます。このようにして、私達が愛する人々が救われる為です。それこそは私達の教会の使命ミッションです。

キリストの愛の絆の中に人生をいきながら、聖霊が私達に導きと知恵と力と平和を与えてくださるようにいのります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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