聖霊が必要

2015年5月24日、ペンテコステ、聖霊降臨日




どうして私達に聖霊が必要でしょうか。父なる神様と子なる神様の大切さが分かり安いです。父は創造主です。天と地を造りました。宇宙全体が彼の物であり、すべてが神様に大切であるのです。あなたと私が神様にとって大切です。ですから、生きる為に私に必要な物を下さいます:体、健康、頭の理性と心の感情、着物、はき物、家族と友人、すべての持ち物です。そして神様は私を危険と悪から守って下さいます。それをして下さるのは、遠くて離れている創造主からではなくて、私の父なる神様であるからです。父の愛があるからです。ですから、このゆえに、私は神に 感謝し、神を讃美し、仕え、従うのです。これはたしかに、本当のことです。

しかし、神様は人間を造りました、ロボットを作りませんでした。素晴らしい理性を下さって、ものを考えて、選択する事も出来ます。それで、人間は、好きな事が出来る自由があると思いました、やりたいと思ったら、罪を犯してもいいと思いました。それで、すべての人間は、あなたと私を含めて、罪を選択します。罪とは、ただ私達が悪い事をする事だけではなくて、私達が神様から自由になりたいと思う事は罪です。その危険とは、命を与える神様から自由に離されていましたら、私達は死にます。神様が私達を愛して、私達が神様にとって尊いものであるので、私達が死ぬ事を望みません。神様は私達の父になりたいと思われるからです。

それで私達を助ける為に、私達を救う為に、神様は御自分の独り子、イエス・キリストをこの世に送って下さいました。あなたは福音の話しを知っています。神様であるイエス様はベツレヘムでお生まれになりました。そしてこの地上で生活して、神様の愛について教えました。そして良い羊飼いのように、神様が私達にとって大切な方であると教えました。そして、十字架上で死ぬ時、その愛を見せて下さいました。ご自分の上に私達の罪を取って、私達の代わりに死んで下さいました。そして、彼の復活によって、私達には命があります。まるで新しい創造のようです。再びキリストと結ばれています。私達は御国において主のもとに生き、永遠の義と純潔と祝福の中で主に仕えるのです。これはたしかに、本当のことです。

父なる神様は私達を創造しました。子なる神様は私達を救って、私達を再び創造しました。しかし、私達はロボットではありません。造り主を忘れる事と同じように、私達は私達の救い主をも忘れます。古い罪の自己中心な生き方に戻ります。神様の事を全然知らないようです。イエス様の話しを聞いた事がなかったようです。神様を全然知らないこの世にいる多くの人々のように、私達が生活します。大昔、神様はこの世を創造しました。イエス様が死んで復活した事も昔です。ですから、人が神様と結ばれる事が難しいです。人間にとって不可能でしょう。神様を見る事や神様に触れる事が出来ません。群衆に話したイエス様の話を聞く事が出来ません。

ですから、私達には聖霊が必要です。聖霊は「霊」です。目で見える体がありません。聖書の「霊」と言う言葉には、「息」又は「風」と言う意味もあります。私達は風を見る事が出来ませんが、それを感じて、風が木の枝を動かす事を見る事が出来ます。私達は人の息を見る事が出来ませんが、その暖かさを感じて、その話した言葉を聞こえます。そして、私達が聖霊を目で見る事は出来ませんが、語られた福音の言葉を聞いて、感じて、見る事が出来ます。聖霊は霊ですので、私達の体のような物質的な物に限られて、防がれていません。それで、聖霊は私達の心に入る事が出来ます。それで私達は福音を理解して信じる事が出来ます。聖霊が、福音によって 私達を召し、その賜物をもって私達を照らし、まことの信仰のうちに私達をきよめ、支えてくださいます。

しかし、私達の罪深い心は旅立ちたくなります。自由になりたいと思います。私達の物質的な体が物質的な物を欲しがります。感情だけで生きる事が難しいです。希望だけで生きる事が難しいです。それで、人が造り主と贖い主から迷って行ってしまいます。自分の理性や能力によっては、私達の主イエス・キリストを信じる事も、みもとに来る事も出来ません。ですから聖霊が必要です。聖霊はキリスト教会を通して働きます。この聖徒の交わりの中で、福音が述べ伝えられて、私達の罪が赦されています。言い換えますと、このようにして聖霊はキリストの祝福を私達に与えます。イエス様についての話しが語られて、それが信じられている時、罪が赦されています。罪が赦されている時、聖霊は私達を聖なる者にします。私達が毎日キリストを信じるので、すべての信仰者の日ごとのすべての罪を豊かに赦して下さいます。このようにして、聖霊はキリストを信じるすべての者とともに、私に永遠のいのちを与えてくださいます。これはたしかに本当のことです。

聖霊は霊ですが、私達に救いをもたらす為に、ある物質的な物も使います:聖書の印刷した御言葉、バプテスマの水、聖餐式のキリストのぶどう酒とパンによる体と血です。聖霊がいつも私達に、この神様の約束を覚えさせる事が必要です。その約束とは、赦し、救いと永遠の命です。

私達は風を見る事が出来ませんが、生きる為に、空気を吸わなければなりません。聖霊のペンテコステの激しい風を見る事が出来ませんが、キリストと共に生きる為に、信仰が必要です。聖霊の働きを目で見えなくても、感情で感じなくても、私達がイエス・キリストを自分の救い主として信じる時、それは、聖霊が私達の心の中で働いている証拠になります。

それで、三位一体の神様が必要です。造り主である父なる神様、贖い主である子なる神様、そして、私達の創造主と救い主を知る信仰を与える聖霊です。これはたしかに、本当のことです。

アーメン

マルチン・ルターの小教理問答書より
 使徒信条



第一条 創造について
天地の造り主、全能の父である神を私は信じます。

問 これはどんな意味ですか?
答  私は、神がすべてのものとともに、私をつくられたことを信じます。また神は私にからだと魂、目と耳、両手両足、理性とすべての感覚を与えられたこと、そ して今もなお保っておられることを私は信じます。その上、神は着物と履き物、食べ物と飲み物、家屋や家庭、妻と子ども、田畑と家畜、すべての所有物を、身 体と生活のために必要なすべてを毎日豊かに与えてくださり、あらゆる危険から私を保護し、すべての悪からふせぎ守ってくださることを信じます。そしてその すべては、まったく私の値打ちとか功績とかによるのではなく、純粋に父としての、神の恵みと憐れみによるのです。これらのすべてのことのゆえに、私は神に 感謝し、神を讃美し、仕え、従うのです。これはたしかに、本当のことです。


第二条 救いについて
そ のひとり子、私たちの主イエス・キリストを、私は信じます。主は聖霊によって宿り、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字 架につけられ、死んで葬られ、よみに下り、三日目に死人の中から復活し、天に昇られました。そして全能の父である神の右に座し、そこから来て、生きている 人と死んだ人とを裁かれます。

問 これはどんな意味ですか?
答  私は、父から永遠の中にお生まれになったまことの神であり、おとめマリヤから生まれたまことの人であるイエス・キリストが、私の主であると信じます。主 が金や銀をもってではなく、ご自身のきよい、尊い血と、罪なくして受けた苦しみと死をもって、失われ、罪に定められた人間である私を、すべての罪と、死 と、悪魔の力とから救い出し、贖い出し、勝ち取ってくださったことを私は信じます。こうして、私は主のものとなり、主が死からよみがえり、永遠に生きて支 配なさっておられるがゆえに、私も御国において主のもとに生き、永遠の義と純潔と祝福の中で主に仕えるのです。これはたしかに、本当のことです。


第三条 聖化について
聖霊を、私は信じます。また、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。アーメン

問 これはどんな意味ですか?
答  私は、自分の理性や能力によっては、私の主イエス・キリストを信じることも、みもとに来ることもできないことを信じます。けれども聖霊が、福音によって 私を召し、その賜物をもって私を照らし、まことの信仰のうちに私をきよめ、支えてくださることを信じます。それは聖霊が、この地上のすべてのキリスト教会 を召し集め、照らし、きよめ、そして、イエス・キリストにある、まことの唯一の信仰のうちに支えられるのと同じです。キリストの教会において聖霊は、私と すべての信仰者の日ごとのすべての罪を豊かにゆるし、そして終わりの日に、私とすべての死者をよみがえらせ、キリストを信じるすべての者とともに、私に永 遠のいのちを与えてくださいます。これはたしかに、本当のことです。


マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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