イエス様の名前

元日2014年


ルカ2:21.「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」
マタイ1:21. 「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

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2013年を生き残りましたので、神様に感謝します。2014年も行き残れるように神様に祈ります。この説教の目的、又今年のすべての説教の狙いとは、私達が霊的に生き残るように助ける事です。物質的に又精神的に生き残る為に多くの事が必要です。しかし、説教とは経済的なアドバイスや、身の上相談の所ではないと思います。多くの罪人や未信者は金持ちで健康で幸せです。しかし福音は、それ以上なものを私達に与えると信じます。神様の御言葉は私達に永遠の命と、救いを与える事が出来ると信じます。ですから私達の心の中には喜びと愛があります。

2014年元日で、生き残るために、この事を考えましょう:

日本では、新しい年の初めをお祝いするのは今日です。しかし、世界の別の所では、その毎年のカレンダーを違う時から始めます。例えば中国の新年は、月の動きによって計算しますので、今年は太陽の暦(こよみ)で、1月31日になります。又、ユダ人が使ったカレンダーは旧約聖書に従って、毎年の秋からで、「ロシュ・ハシャナー」と言います。又、日本の学校の一年は4月からです。教会の一年はアドベントの第一の主日からです。私の理解では、教会のカレンダーは元々クリスマスの日から始まりましたが、クリスマスの準備として4週間のアドヴェントの時期が付けられました。それでクリスマスの4週間前から一年を数えます。しかし一年の始めとして、クリスマスは素晴らしいと私は思います。人の人生が命の誕生からスタートするので、キリストの誕生から私達の永遠の命がスタートします。

クリスマスから数えますと今日は八日(ようか)目です。旧約聖書の律法によりますと、八日目には、赤ちゃんに正式に名前が与えられて、その子供が神様の家族の一人になります。町の役場で子供の誕生を届け出る事のようでしょう。それで、つぎのルカの福音書の言葉の中に、この新しい年を生きる福音の力があると思います。

ルカ2:21「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。」キリストが生まれる前に、天使はマリアにもヨセフにもその名前を教えました。ヘブライ語では、イエス様と言う名前は「主なる神は救う」と意味します。しかし、イエス様は政治上や経済上や社会的な救い主ではなくて、それより偉大なる者になります。天使はこのようにヨセフに教えました、マタイ1:21. 「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」イエス様は私達を罪から救います。これは大切なのは、聖書によりますと、私達のすべての問題が罪から来るからです。病気と死も罪の結果です。それは、自分個人で犯さなくても、他の人の犯した罪の結果もあります。私達がこの世の中にいますので、罪に囲まれています。

最近、「この子は自分の民を罪から救うからである」と言う天使の言葉の意味を考えています。まるで、主の祈りの「悪より救い出したまえ」のように思います。私達皆が罪を犯したでしょう、そして、新しい年にも罪を犯し続けるでしょう。「試みに合わせず」と祈りますが、人生の試みと誘惑が、自分の意志より強い時があると分かります。それで、神様が自分の罪の悪より救って下さるように祈ります。簡単に言いますと、「夕食の前にクッキーを食べました。母さんが僕を見て僕を叱らなければ良いです。」「アー、スピードを出しすぎて走ってしまった。レイダーにひっかかっていななければ、罰金がなければ良いのに!」「神様、僕は悪い事をしてしまった。ごめんなさい。僕の人生がめちゃめちゃにならないように、別の人に悪い影響がないように祈ります。」と

この新しい年、霊的に生き残る為に、一つのアイディアがあります。「イエス様」と言う名前を言うたびに、イエス様が本当に私達を、自分の罪から救い出して下さると言う信仰告白にしましょう。イエス様の名前は、イエス様が私達の罪を赦して下さる祈りです。

今年もどのように私達を救う為にイエス様が働いて下さったか覚えて、お祝いします。今年マタイによる福音書の奇麗な聖書の物語を読みます。イエス様は多くの人々を教えたり、癒したり赦して下さったりしました。十字架上で、私達の罪の結果を苦しみました。そして3日目に甦りましたので、御自分の名前が本当に「イエス」である、「主は救われる」である、本当に私達の救い主であると分かります。

私が悲観論者でしょうか。今年は去年と同じぐらい罪深いでしょう。古い問題があるでしょう、そしてその上に、まだ誰も想像する事が出来ない新しい問題もあるでしょう。天災があれば、人間が起こす悲劇もあるでしょう。失恋と失望と頭痛とほかの体の痛みもあるでしょう。私達が誤解したり間違ったりするでしょう。私達は罪を犯すに違いないでしょう。今年は、神様が私達を物質的に、病気や事故や恥から、救い出さない年かも知りません。しかし、それなのに、イエス様が私達を救うと分かります。イエス様が死んで恥を苦しんだので、私達を救って下さると分かります。ですから私達は心の中は楽観主義です。私は神様を信頼するからです。イエス様は私の救い主です。私に聖霊を下さいました。バプテスマによって私の罪が赦されていました。聖餐式によって、私の罪が再び赦されています。それで、私には生き残る力がありあす。今日の為にもこの新しい年の毎日です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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