からし種一粒ほどの信仰を利用して

2013年10月6日


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ルカ7:1-10
 
1 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。2 そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。3 あなたがたも気をつけなさい。
 もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。4 一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
 5 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、
 6 主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
 7 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。8 むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。9 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。10 あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
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「私の信仰を増してください」 と祈った事がありますか。そして、その大きな信仰で何をするでしょうか。変な勿体無い物に使わないで下さい。海の中に木を植える為に使わないで下さい。それをするには信仰がいりません。 シャベルが必要です。人間にとって不可能な事の為に信仰を使いましょう。兄弟を7回赦す為に使いましょう。

それをする為に使徒達は信仰を増やすように願いました。山を動かす為にではなくて、山ほど大きい罪を動かす為でした。他の人を赦す事が難しいです。特に、7回や何回も何回も同じ無礼な行動を繰り返す時です。それを赦す為に、信仰を始め、愛と忍耐と聖霊の力が必要です。  

それなのに、イエス様は赦す事が簡単であると言われます。必要なのは、ただ極(きょく)goku小さい信仰、からし種一粒ほどで充分です。そしてイエス様を自分の救い主として信じる人には、もう既にそれより大きな信仰があります。兄弟姉妹を7回も赦す事が出来るのは、イエス様が十字架上で死ぬ時、私達の数え切りない罪を赦して下さったからです。

海の中に罪を投げる事がふさわしいです、何故ならば、それが洗礼の海でしたら、その海に溺(おぼ)れる事は、赦しと永遠の命の復活になるからです。

今日の福音書の1節では、12人は「弟子」と呼ばれ、5節では「使徒」と呼ばれています。弟子は生徒で、使徒は宣教の働きに送られた人です。その働きとは、十字架上でのイエス様の働きを述べ伝える事です。すなわち、罪の赦しを告げる事です。それは、ただ、赦しについて話す事だけではなくて、実際にキリストの御名によって罪を赦す事です。福音が述べ伝えられて信じられている時、罪が神様に赦されています。又、他の人の交わりの中で私達が人生を送る時、個人的な無礼と誤りと罪があります。ですから、私達の心の中には、神様の赦しと同じような個人的な赦しもあります。それは主の祈りの中で願う事です。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」使徒、教会、すべてのキリスト信者、あなたと私の働きとは、罪を赦す事です。大きなミッソン、大きなチャレンジですが、それをする時、私達は素晴らしい事をしますが、誇(ほこ)ってはいけません。私達は言います、『私どもは取(と)るに足(た)りない僕です。しなければならない事をしただけです』と。大きい事をしませんでした。からし種一粒ほどの信仰しかありませんでした。イエス様は、十字架上でその大きな事をして下さいましたからです。

ハレルヤ!アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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