主の平和

母の日、2007年5月13日

ヨハネ14:23−29

イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。

イエス様は言われました、「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」

「平和」とは何でしょうか。平和は、戦いがない時のことです。しかし、より良い平和とは、戦いが再び起こるとを心配しない時です。又、心の中の平和もあります。それは、精神的、霊的な戦いがない時です。そして、主の平和もあります。イエス様によりますと、この平和は、この世が与えるものと違います。

私は、太平洋戦争の後に生まれました。しかし、言われている「冷戦、冷たい戦争」の時でした。ロシアが私達に攻撃したら、学校では避難するための練習がありました。原子爆弾の攻撃の脅しがありました。本当の戦争がありませんでしたが、本当の平和もありませんでした。朝鮮での戦争やベトナムの戦争の時、私は学生でした。完全な平和の時ではありませんでした。今日、イラクでの戦争があります。しかし、キリスト信者達には、主の平和によって祝福されています。

-mail のニューズレターによりますと、先週、トルコの国では、イスラム教の青年のグループは、2人のキリスト教の宣教師を攻撃して殺したそうです。信教の自由がなければ、宗教の平和がありません。しかし、その2人のクリスチャンの殉教者には、主の平和によって祝福されています。

平和は何でしょうか。5月の天気が良い日に、自分の庭でお茶をゆっくり飲む事でしょうか。母の日に、自分の子供達に囲まれているお母さんでしょうか。

私は家内に、「お母さんが与える平和は何ですか」と聞きました。答えは、「お母さんは平和を与えません。いつもうるさいからです。」お母さんがうるさく言う時、子供達は何を言うでしょうか。「お母さん、ほっといて!」英語での表現は、「お母さん、平和をちょうだい」。同じように、お母さんは子供達に、「ケンカをやめなさい。わたしに平和をちょうだい」と。それで、母の日には、この一日だけでも、お互いに平和を与えようと思います。しかし、神様の平和は何のようなものか調べたいとおもいましたら、別の所を探さなければなりません。

この世が与える平和は、この世のものの為のものです。イエス様が与えるものは、この世を超えるものです。この世の平和は一時的なものですが、イエス様の与える平和は永遠のものです。一番大きな敵とは、戦争やうるさい家族ではありません。一番大きい敵とは、悪魔です。この敵は平和や休戦をくれません。悪魔の絶えまない攻撃は、この世の罪と悪です。イエス様だけが私達を救う事が出来ます。イエス様だけが、十字架上で死んで、私達の罪を赦して、このようにして悪魔を征服する事が出来ます。この平和は、この世が与える事が出来ない平和です。この世はその平和を与える事が出来ないし、私達は自分の働きによってその平和を得る事が出来ません。

今日の福音書で、イエス様によりますと、父なる神様は聖霊である弁護者を送ります。そして、聖霊は私達にイエス様の御言葉を教えてくださいます。このようにして平和があります。なぜならば、聖霊は、聖なる福音を述べ伝えて、聖なる洗礼によって私達の罪を赦すので、私達を聖なる者にします。この罪の赦しとは、神様しか与えられない平和です。

今日は母の日です。もしお母さんは子供達に誠の平和を与えたいと思いましたら、キリストの平和を与える事によってのみ、与えることが出来ます。それで、子供達がイエス様を自分の救い主として信じるように子供達を育て、教会に連れて来て、洗礼の水へと導きます。キリストの愛がその家庭の中にあります。赦しがあります。勿論、お母さんが自分の子供達を愛するので、お母さんの働きを果たすとき、お母さんがうるさい時があります。これも、家庭の中で聖霊が働く事です。

説教の最後に、フィリピ4:7の言葉をよくつかいます。「どうか、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。」この平和は、福音を述べ伝えた結果です。罪が赦されています。この平和によって、世界平和の希望があり、敵が友になり、家族の絆が出来、病気が治り、悲しみが喜びに変わり、死が永遠の命に変わります。

アーメン。

どうか、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

ニアフッド牧師の説教