キリストと結ばれて、結婚の忠実さのように

2014年6月29日


ローマ7:1-6
7:1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。
7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。7:5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

キリスト信者の喜びの一つは、神様が私を愛して、そして、イエス・キリストの信仰によって私が救われていて、天国で永遠に生きる事を知る事です。これは大きな希望と平和を与えます。しかし、同時に、私達クリスチャンが罪のためにわずらっています。私達が赦されていて、これからも何回も赦される事を知ります。しかし、私達は神様を愛して、罪を犯さないで、神様に喜ばれる人生を送りたいと思います。しかし、いつも罪に落ち続けます。それでがっかりします、神様もがっかりするでしょう。神様にたいして忠実に生きていません。私たちは罪を犯さないでいる事が出来ないみたいです。どうしたら罪を犯さないでいることが出来るでしょうか。私達はキリスト信者です。日曜日ごとに教会で自分の罪を告白します、又、月曜日から土曜日まで、自分の罪と弱さと有罪の重荷を感じる時、赦しの為に神様に祈ります。罪を全然犯さなければいいですね。しかし、どうやって私達人間にそれが出来るでしょうか。

ローマの信徒への手紙の中で、聖パウロは、そのローマの教会にも、沖縄ルーテル教会の私達にも忠告(ちゅうこく)を与えます。この言葉を通して聖霊は今日私達に語ります。

ローマ信徒への手紙の最初の部分では、罪を起さないとっても良い理由をあげます。それは、罪が死と地獄へと導くからです。その理由だけで、恐れを充分与えるので、私達に良い事をさせるでしょう。しかし、その恐れの為に、私達は神様の律法の奴隷になります。 そのような恐れは信仰ではありません。なぜなら正しい事をすれば天国に行けると私たちに思わせるからです。しかし、神様の目には、私達は決して完全な者になりませんので、神様から来る義が私たちには必要です、それは、罪の赦しによって来ます。ご自分の死と復活によってキリストは神様の義を私達に与えて下さいます。私達を救うのは、キリストを信じる信仰です。もう恐れではなくて、愛です。神様の怒りを恐れて正しい事をするのではなくて、神様を愛しますので、正しい事をしようと思います。 

それなのに、罪を犯し続けます。

罪の束縛〔そくばく〕から逃れる為に、聖パウロは私達を勇気つけます。先週ローマ人への手紙6章を読みました。その忠告とは、以前私達は悪魔の為に働きましたが、今はキリストの為に働いています。悪魔が私達の雇い人である時、私達の仕事とは、罪と悪を作る事でしたが、神様が私達の雇い主になりますと、私達は良い業を作ります。それは愛、親切などです。罪の賃金は死ですが、キリストは永遠の命を与えます。ローマ6:23「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」

神様との関係を理解する為に、又、良いキリスト信者としての人生を送る為に、今日、聖パウロは、もう一つの方法を話します。結婚の例えです。聖書の中で多く使われている例えです。例え話しの中で、イエス様は天国が結婚の披露宴のようであると話しました。黙示録の中では、教会はキリストの花嫁であると言いました。旧約聖書で、預言者ホセアはイスラエルの国民は神様の妻のようであると書きました。神様をよく「主」と呼びます。それは、夫を「主人」とよぶのと同じ言葉です。そして、主なる神様は、自分の妻の事を嫉妬〔しっと〕します。この言葉を使う、面白い箇所は、主エジプト記20章のモーセの十戒の第1と第2戒めです:

• 0:2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。20:3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。20:4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。20:5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

又、聖パウロが書きました:

• ローマ7:1-3

• 7:1 それとも、兄弟たち、わたしは律法を知っている人々に話しているのですが、律法とは、人を生きている間だけ支配するものであることを知らないのですか。7:2 結婚した女は、夫の生存中は律法によって夫に結ばれているが、夫が死ねば、自分を夫に結び付けていた律法から解放されるのです。7:3 従って、夫の生存中、他の男と一緒になれば、姦通の女と言われますが、夫が死ねば、この律法から自由なので、他の男と一緒になっても姦通の女とはなりません。

夫でしても、妻でしても、自分が悪魔と結婚しているようです。結婚の法律によりますと、自分の連れあいに対して、決まっている責任や義務があります。場所によって時代によって習慣によって違いますが、妻は料理をして洗濯をしますと、夫は妻と家族を支える為に仕事をしてお金を持って帰ります。悪魔と結婚したら、私達は罪を犯す事が必要です。罪を犯さなくても良いオプションではありません。自分の連れ合いがサタンでしたら、罪を犯すはずです、いや、罪を犯すことは義務的です! しかし、連れ合いが死ぬと、生きている人は自由になります。うるさい妻から自由です!ひどい夫から自由です!悪魔の要求から自由になります。十字架上で死んで、勝利を持って地獄に下った時、イエス様は悪魔に勝ちましたので、私達を悪魔の束縛から自由にして下さいました。私たちにとって悪魔は死にました。

今は、再婚する事が出来ます。キリストとの愛を結ぶ事が出来ます。 

そして、聖パウロはもう一歩〔いっぽ〕進めます。

• ローマ7:4-6

• 7:4 ところで、兄弟たち、あなたがたも、キリストの体に結ばれて、律法に対しては死んだ者となっています。それは、あなたがたが、他の方、つまり、死者の中から復活させられた方のものとなり、こうして、わたしたちが神に対して実を結ぶようになるためなのです。7:5 わたしたちが肉に従って生きている間は、罪へ誘う欲情が律法によって五体の中に働き、死に至る実を結んでいました。7:6 しかし今は、わたしたちは、自分を縛っていた律法に対して死んだ者となり、律法から解放されています。その結果、文字に従う古い生き方ではなく、“霊”に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです。

配偶者(はいぐうしゃ)が死にますと、死んだ方が生きている配偶者から自由になります。想像出来るでしょう。死ぬ床に寝る夫にとっての一つの慰めは、「もうそろそろ、そのうるさい女から自由になる」と思う事でしょう。死ぬ妻に一つの慰めとなる考えは、「もう、そのひどい男から自由になって良かった」と。私達が洗礼を受ける時、私達は罪に対して死にました。信仰と悔い改めによって、私達は悪魔との奴隷関係に対して死んで、律法の恐れに対して死にました。そして、洗礼によって私達はイエス・キリストと共に甦りました。それで、今、天国の披露宴に入る事が出来ます。この結婚の誓約(せいやく)は、お互いの忠実と愛です。キリストとお互いに忠実であることです。これは誠の愛です。

聖パウロの願いは、私達のキリスト信者としての人生が、末永いいハネムーンとなることです。愛する者だけの目を見ます。同じ名前の人の為だけに生きるのです。私達の名前は、「クリスチャン」です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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