結婚

2012年10月7日



マルコ 10:2-12
10:2 ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。
10:3 イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。
10:4 彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。
10:5 イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。10:6 しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。10:7 それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、10:8 二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。10:9 従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」
10:10 家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。10:11 イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。10:12 夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

創世記の物語を読む時、あなたは自分自身の物語を読んでいます。あなたこそはアダムです。あなたこそはエバです。あなたこそはカインです。あなたこそはノアです。アダムとエバと同じように、あなたも誘惑されて、あなたも罪を犯しました。カインと同じように、あなたの怒りの為に他の人を傷つけたり、自分の兄弟や誰かを殺したいと思ったりする事があります。又、カインと同じように、あなたを守る為に、神様は御自分のしるしをあなたに付けました。洗礼を受ける時、あなたのひたいと胸の所に十字架が書かれていました。ノアのように、洗礼の水によって、あなたも救われて、神様の新しい契約のしるしを与えられました。

創世記2章で、アダムはエバより先に造られていたので、独りです。動物がいましたが、アダムの為にふさわしい助けてや友になる者がいませんでした。アダムは淋しかったです。神様は言われました。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助けてを造ろう。」それで、神様はアダムのあばら骨の一部を抜き取ってエバを造りました。アダムは神様のもっとも完璧な創造物であるエバを見る時、喜びで満たされました。言いました、「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。」そして、この祝福があります、創世記2:24-5、「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」

その後、誘惑と罪と恥が来ました。そして、ようやく、男と女の完璧な友情と絆が壊されました。今度、アダムの胸からあばら骨の一部を抜き取るのは、離婚と言います。あばら骨は人間の心の場所と呼ばれている、心臓のそばです。離婚の時、人のハートが抜き取られています。結婚によって二人は一体となりますが、離婚の時その一体は半分と半分になり、人は完全ではない、淋しい者になります。イエス様によりますと、離婚の理由は、人の心が頑固であるからです。それは愛がない事で、自己中心、頑固、愛したくない事です。離婚は、創造主の神様の御計画ではありません。イエス様は言われました、マルコ10:6-9、「しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

モーセは離婚が良いものと思いませんでしたが、人間の頑固な罪の為に、特にその女の人を守る為に、離婚についての規定を作りました。

そして、イエス様は更に弟子達にこのように言われました、マルコ10:11-12、「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」それで、イエス様は離婚を受け入れないで、むしろ再婚が重婚(じゅうこん)のように考えているみたいです。マタイの福音書(19:9)では、一つだけの理由で離婚が認められます、それは「不貞」の為です。

牧師として、私の個人的な意見を言いますと、二人がいつも喧嘩して暴力を振るう時、一人がその連れ合いを殺してしまう前に、離婚する方が良いでしょう。それは安全の為です。牧師として愛と理解を持って、赦しを持って、神様を信頼して、人を見なければなりません。再婚の場合について、私の個人的な意見を言いますと、牧師として、今度も、愛と理解を持って、赦しを持って、神様を信頼して、神様の愛を知る事です。神様は人の必要と人の淋しさをご存知です。人間には、友が必要です。神様はアダムを見て言われました、「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」私達は神様の憐れみと赦しを信頼しなければなりません。

聖書の中では、私達の神様との関係が結婚にたとえられています。イエス・キリストの生まれ、死、復活によって、神様は人間の体としてこの世に来られました。信仰を持って、私達はアダムと同じように言います、「ついに、これこそ/私の骨の骨/私の肉の肉。」キリストは私のような罪人を救う為に来られました。キリストは私達の友であり、私達を完全な者にします。これは天国の永遠の結婚の結びつきの喜びです。

今度、「恐れおののきつつ」不安を持って、現代、話題になった事について話したいと思います。そのテーマとは「同性結婚」です。聖書の中では、又教会の歴史の中では、結婚はいつも一人の男と一人の女です。結婚の法律は国で定められています。例えば、兄弟姉妹やいとこが結婚してはいけません。又、年齢の規定があります。もし国の議会が辞書の定義を変えたいと思いましたら、法律的な力が必要です。それがあっても、教会はその組合せを認めなくても良いでしょう。結婚式をあげなくても良いでしょう。同性結婚が正しいと思いませんが、牧師として、今度も、愛と理解を持って、赦しを持って、神様を信頼して、神様の愛を知る事です。神様は人の必要と人の淋しさをご存知です。いろいろの人間関係があります:友達、遊びの相手、チームメイト、クラスメイト、同僚者、隣人、兄弟姉妹、連れ合いです。人間には、必要なのは、友、友情、愛、信頼、忠実、平安、安心、守りです。完全な完璧な友とは、イエス・キリストです。神様は言われました、「人が独りでいるのは良くない。」イエス様はお生まれになりました。イエス様は「インマヌエル、神が私達と共にいる」者です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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