信仰によって生きる

2010年8月8日

信仰によって生きる事。それは今日の3つの聖書日課のテーマです。ヘブライ人の手紙の日課は多くの旧約聖書の勇士について語ります。危ない時にも、将来が見えない時にも、彼等は信仰を捨てないで主なる神様に忠実でした。アベル、エノク、ノア、アブラハム、サラ、ヤコブ、モーセ、ギデオン、サムエル、ダビデなどは信仰によって生きました。「ヘブライ11:1 信仰とは、望んでいるをし、見えないをすることです。」この言葉は私達にも勇気を与えます。それで、信仰を持って忠実に生きる事が出来ます。

大きな例とはアブラハムの信仰です。神様は彼に2つの約束を下さいました、1つは土地、もう1つはそこに住むです。その約束を信じて、アブラムは故郷のウルを出て、カナン地方に行きました。それは彼の新しい国でしたが、なを持つ都はそこにありませんでした。彼は決して根を下ろさないで、死ぬまでテントに住みました。彼は年を取り、妻も年取って子供がいませんでした。アブラハムはその子孫に対する約束を、失望していた時に、主の御言葉が彼に来ました。

創世記15:4 見よ、主の言葉があった。「その者{あなたのしもべ}があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」15:5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

アブラハムは175歳で死にました。自分の息子イサクを見、二人の孫のヤコブとエサウを見る事が出来ました。その上、もう一人の息子イシマエルとイシマエルの子供達も見る事が出来ました。しかしアブラハムは最後までテントに住みました。「ヘブライ11:1 信仰とは、望んでいるをし、見えないをすることです。」それで、アブラハムは神様の約束を信じました。約束の地である国とその約束した国民です。アブラハムは神様を信じて、その信仰によって生きました。

新約聖書のイエス様の約束とは、神の国が近づいた事です。この国はパレスチナに限られていません。アブラハムに約束された故郷と違います。神の国には国と国の間の国境に限られていないので、にも時にも限られていません。今は地上にあり、また天国では永遠です。これはイエス様が私達に与えられた約束です。私達はイエス様の約束を信じますので、私達はアブラハムと共に義とされています。

イエス様は弟子達に言われました、「12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」それこそは問題です。私達は恐れるからです。私達は心配します。安心して思いません。パニックになります。イエス様によりますと、それは信仰の問題です。イエス様は「信仰の薄い者たちよ」と言われます。このように考えたらどうでしょうか。あなたの国籍はどこの国でしょうか。天国の国民でしょうか、それともこの地上の国の国民だけでしょうか。神様に信頼するか、あなたの国の政府に信頼するでしょうか。神様はあなたの王様でしょうか、それとも、他の者があなたの人生を支配するでしょうか。もし心配事が食べ物や着物、住まい、泥棒があなたの家に押し入ることなどでしたら、あなたの住んでいる町の役場や警察にって下さい。全世界のすべての人はその物を求めます。イエス様は言われました。「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。」神様はあなたが何を必要とするかが分かります。ですから、主の祈りで「日ごとの糧を今日も与えたまえ」と祈る時、感謝の祈りのようになります。「主よ、日々の糧を下さいますので、ありがとうございます」と。そして、このように祈る事が出来ましたら、私達がもうこの地上の事を心配しません。その時、神の国とその義を求めています。「御国を来らせたまえ。。。。国の力と栄。アーメン。」

これは信仰によって生きる事です。勿論、人生には問題が起こります。どのようにして神様が私達の問題を解説するでしょうかと不思議に思います。それで私達の人生の中に働く神様の奇跡を待ち望みます。

私達が信仰によって生きる事が出来るのは、神様が信頼出来る方だからです。私たちが神様に忠実である事が出来るのは、神様が私たちに忠実であられるからです。神様は約束を建てて、それを守って来られたので、これからもその約束を守られます。アブラハムに対する約束を守りました。ダビデ王に対する約束を守りました。イエス様は、御自分が私達の罪の為に死んで3日目に甦ると言う約束を守りました。約束された聖霊がペンテコステに来られました。ですから、イエス様が御自分の約束を守られることを信じます。再び来られて、私達を天国に連れて行きます。これは神様の約束です。

私達は神様に忠実にするように約束しました。洗礼を受ける時にその約束を建てました。堅信式を受ける時にその約束を再び結びました。又、聖餐式をいただく時、その約束を再び確認します。キリストの血による新しい契約です。そして、その聖礼典によって、キリストは御自分の約束を再び結びます。それは忠実であるという約束です。

これが信仰によって生きる事です。即ち、私たちに約束してくださった神様の忠実の中で生きる事です。ですから、アブラハムのように信仰の旅が出来ます。自分の信仰によって立つ事が出来ます。ダニエルと彼の友達のように、(ライオン)獅子のの中にあっても、燃え上がるの中にあっても、信仰によって立ちます。信仰にとって生きる事は、空の鳥のように自由です、野原の百合のように美しいです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会

ルカ12:22 それから、イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。12:23 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。12:24 烏のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。12:25 あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。12:26 こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。12:27 野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。12:28 今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。12:29 あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。12:30 それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。12:31 ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

12:32 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。12:33 自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。12:34 あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

ヘブライ

11:1 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

11:2 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。11:5 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。11:6 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。

11:7 信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。11:8 信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。11:9 信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。11:10 アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。11:11 信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。11:12 それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。11:13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。11:14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。11:15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。11:16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

創世記15:1 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」15:2 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」15:3 アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」15:4 見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」15:5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」15:6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。


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