復活と人生

2007年4月22日、復活節第3主日
ヨハネ21章

先週のニュースは、ひどいものばかりみたいでした。月曜日の朝、アメリカのバージニヤ州の大学では、悲劇がありました。精神的に問題のある生徒が、33人の生徒達を銃で殺してから自殺しました。月曜日の夜、長崎の市長が銃で撃たれて殺されました。長崎の市民は、愛する市長の体を運ぶ霊柩車を見る為に、道のそばに立ってその棺を見送りました。先週中、イラクでは、軍人も市民もテロリストによって殺されました。又、春の嵐などの天災で死んだ人々もいました。

今は復活祭の季節です。イースターは、これらの問題について、何を言うでしょうか。

人々は、その殺人を犯す人の心、どうしてそんなことをするのかとその思いを調べたいと思います。何を考えていたでしょうか。悲劇のげんいんを理解する事が出来ましたら、慰めを得ると思います。しかし、心理的な調べは、その本当の原因を見出しません。しかし、イースターの出来事は教えます。しかし、本当の理由を聞きたい人がいるでしょうか。

悲しみと寂しさがあります。人々は毎日死にます。しかし、大学の教室や長崎の道路での悲劇は、悲しみよりひどい恐ろしさがあります。私達皆が安全ではないと教えるからです。人々は、教室が安全だと思います。生徒達はそこにいますと、安全と感じて、親達も、そこは自分の子供の為に安全な所と考えています。そして、このようなひどい悲劇が起こりますと、だれもがどこも安全ではないと分かります。殺されなかった生徒達は、自分が銃で打たれる可能性があったと分かります。親達は、自分の子供でも殺される可能性があったと分かります。日本中の政治家は、自分の道が危ないと恐れるでしょう。この悲劇はとっても個人的に感じます。自分も、自分の愛する人も安全ではないと心配します。

イースターが教える事とは、私達にも死ぬ可能性があった事だけではなく、私達も死ぬべきだったと言う事です。聖書が教えるのは、すべての人々が死ぬにもかかわらず、死は自然なものではなくて、不自然なものだと言うことです。神様の創造物の為のみこころではない事です。死は、人間の堕落(だらく)の状態の為に起こることです。この状態は、罪、原罪、又律法とも呼ばれています。

多くの人々を殺す事、戦争、天災などは恐ろしいです。何故ならば、私達一人一人が簡単に殺される事があると思い起こすからです。そして、死が恐ろしい事は、私達が神様の御前でどのように立つか教えるからです。即ち、私達は死ぬべき罪人として立つからです。ですから、いまは悔い改めの時期です。

イエス様が十字架上で死ぬのは、私達の罪を赦す為ですが、更に、私達皆が死ぬから彼は死にました。何故ならば、イエス様が人間になって、十字架上で死ぬ事は、世の罪をご自分の上に取る事です。死にましたが、3日目に甦りました。ですから、人が死ぬ時、悲劇が起こる時に、希望や慰めがあれば、それはイエス様になります。何故ならば、彼だけが死んで甦って永遠に生きるただ一人の人だからです。そして、彼が甦ったように、私達も甦ります。

ペテロと他の弟子達には、恐ろしくて悲しい時がありました。イエス様はお墓から復活しましたが、いつも、以前のように、弟子達と共にいませんでした。3年間ぐらい、いつも一緒で、旅をしました、御言葉を学びました、人々を病気から癒しました、そして、一緒に食事をしました。イエス様が復活しましたが、その後でいつも彼らと共にいませんでした。来たり行ったり、現したり消えたりしました。弟子達の人生が変わりました。自分の人生を立て直そうとしましたが、出来ませでした。「私は漁に行く」とペテロは言いました。しかし、何も釣れませんでした。自分の力で自分の人生を以前のように元に戻す事が出来ませんでした。

イエス様は彼らの状態を知りました。「子達よ、何か食べる物があるか」即ち「魚があるか」と聞きました。実は、質問よりも、弟子達がイエス様の助けがなければ、魚を一匹も釣ることができないと言う状態を表しています。奇跡的に百五十三匹の大きな魚でネットがいっぱいになりました。これで、人生のすべての事の為に、また人生の最も基本的なことにおいてイエス様の助けが必要であると弟子達に分かってきました。この大漁は残りの人生で十分な漁でした。なぜならこれから、人間を取る漁師になるからです。又、新しい職業とは、羊飼いです。「私の小羊を飼いなさい」とは、ペテロへのイエス様の新しい命令です。この命令には、新しい人生を始める力がありました。イエス様の愛は彼らに生きる力を与えました。

イエス様の愛が私達にも来ます。人生をどうやって生きるかと悩みます。「魚を捕らなかったでしょうね」と。私達が自分の力によって生きる事が出来ないとイエス様は分かります。弱くて、悲しみが大きすぎて、痛みをもうがまんできません。その時、自分の人生の中のイエス様の愛を見る事が出来ます。その大量の魚の奇跡のような愛の業を見ます。その時、弟子ヨハネのように私達も言います、あれは「主だ」と言います。恐ろしい悲劇の中にあっても、イエス様は私達の人生に意味と目的を下さいます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

ニアフッド牧師の説教