「レギオン」

2010年6月20日
聖霊降臨後第4主日

ルカ8:26−39

8:26 一行は、ガリラヤの向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。8:27 イエスが陸に上がられると、この町の者で、悪霊に取りつかれている男がやって来た。この男は長い間、衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた。8:28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」8:29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷をはめられて監視されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆り立てられていた。

8:30 イエスが、「名は何というか」とお尋ねになると、「レギオン」と言った。たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。8:31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。8:32 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。8:33 悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。

8:34 この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。8:35 そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。8:36 成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。8:37 そこで、ゲラサ地方の人々は皆、自分たちのところから出て行ってもらいたいと、イエスに願った。彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである。そこで、イエスは舟に乗って帰ろうとされた。

8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

イエス様の時代、病気の原因は悪霊だと思われていました。熱、テンカン、統合失調症(とうごうしっちょうしょう), 気分が悪くなる事、事故、運が悪い事などです。全部が悪霊や悪魔の故に起こると思われていました。現代の医者はこのように話しません。キリスト教会の信者のほとんどは、その悪霊を征服する聖霊の力を信じますので、悪霊の事を考えたり、心配したりする事をしません。世の中のある人はこれらの物を恐れます。悪霊、死んだ人の霊、子孫に害を与える死んだ人の霊を恐れます。しかし、キリスト教会の信者が信じるのは、私達の昇天した愛する者たちはもう主と共にいるので、恐れがありません。聖書は悪魔と悪霊について話しますので、その存在を認めます。しかし、悪い事の原因が悪霊であると言いません。その代わりに、医学的や科学的な方法でその原因とその解決を探します。又、心や精神的な問題の場合には、カウンセリングと祈りと神の御言葉によっての解決を探します。たとえ問題の原因が何であっても、物質的や精神的や霊的なものであっても、私達が精神的に狂っても狂っていなくても、自分がその「レギオン」と呼ばれた人のようです。

自分の狂っている事、自分がクレイジーである事を隠したいと思います。自分の問題を隠します。イエス様はその「レギオン」と呼ばれた人と出会った時、その人の目で見える凶暴な(きょうぼう)振る舞いだけでなく、その人の本当の問題を表しました。その悪魔を表しました。それで、その人が恐れました。

8:28 イエスを見ると、わめきながらひれ伏し、大声で言った。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい。」8:29 イエスが、汚れた霊に男から出るように命じられたからである。….たくさんの悪霊がこの男に入っていたからである。8:31 そして悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。

現代の人も似ている事を言います。自分の罪が見られている時、人々に自分をほっといてくれと言います。イエス様にチャレンジされている時、教会が自分の個人的な生活に入り込まないでくれと言います。聖書の話では町の人々は、その悪魔に取りつかれている人をコントロールしようと思いました。

8:29 ….この人は何回も汚れた霊に取りつかれたので、鎖でつながれ、足枷(あしかせ)をはめられて監視(かんし)されていたが、それを引きちぎっては、悪霊によって荒れ野へと駆(か)り立てられていた。

私達も自分の問題をコントロールしようと思います。自分に制限(せいげん)をかけたり、がんばってみたりします。しかし、その束縛(そくばく)を破(やぶ)ります。その時、一人で荒れ野の中にいて、助ける人がいない状態のようです。しかし、イエス様の助けが本当に欲しいでしょうか。好きな罪をなくしたいと思いますか。それとも自分がクレイジーである状態が好きでしょうか。

しかしイエス様を追い出したら、なおさらにクレイジーです!私達は地獄の淵(ふち)を恐れて、神様の裁きが私達をそこに送ると分かりますので、神様が私達を滅ぼさないように願います。私達の罪が私達を滅ぼします。ですから神様の助けがなければ、私達の罪が私達をその福音書の山の崖(がけ)から落として、淵(ふち)に溺(おぼ)れ死にます。

私達は馬鹿かも知れませんが、神様のほうがなおさらに馬鹿みたいです。イエス様の事を考えて下さい。ファリサイ派の人々や他の人々もイエス様が狂っている、精神がおかしいと思いました。イエス様は神様の愛について話しました。敵を愛する事について話しました。そして、喜んで御自分の上に私達の罪を取って、私達の苦しみを取って、裸になって十字架に釘でつけられました。その時、悪魔からの声が聞こえました。その声がイエス様に十字架から降りて来るように勧めました。『あなたが救い主であれば、自分を救いなさい』と。しかし、イエス様は喜んで、死ぬ事によって、その淵に行きました。そして父なる神様と和解されました。三日目に甦られました。人が生き帰る事は馬鹿みたいです。しかし、これは神様の知恵です。

そして、イエス様は罪と悪魔と地獄の淵を征服したので、私達の人生の中の悪霊も征服されました。私達はその崖から飛び降りて、洗礼の水に入ります。そして、聖霊は私達の心の中に入りますので、私達は溺れないで生き帰ります。

私達は神様の御言葉と神様の約束を信頼しますと、この世は私達が馬鹿だと思うでしょう。何故ならば自由になった私達が、他の人が自由になるように助けるからです。私達の周りに、ある人は自分の色々の問題の為に、恥の墓場のような所に住んで、自分の人生の悪霊の為に鎖のようなものでつながれています。私達は自分の手を伸ばして、鎖を取り外します。神様の義で彼らは新しい衣を着ます。神の御言葉を食べます。命のパンを与えられ、救いの杯を頂きます。良い知らせを分かち合い、その人を『兄弟姉妹』と呼びます。洗礼を施(ほどこ)します。崖から洗礼の湖に飛び降りるのは、怖いでしょうが、先ず、私達はイエス様を自分の救い主として告白します。洗礼を受けた他のクリスチャンを見ます。聖書が馬鹿ではないと分かります。イエス・キリストの愛を見ます。

この福音書のお話の最後の言葉が好きです。

8:38 悪霊どもを追い出してもらった人が、お供したいとしきりに願ったが、イエスはこう言ってお帰しになった。8:39 「自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい。」その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた。

私達もイエス様と共に行きたい(生きたい)と思うでしょう。しかし、イエス様がいつも私達と共にいると分かります。神が私達になさったことをことごとく話して聞かせる事が出来ます。私達も、服を着、正気になって、聖霊が私達の人生を祝福します。

アーメン。


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