天国での婚宴

2008年11月9日
全聖徒の主日

マタイ25:1−13
25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。25:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。25:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。25:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。25:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」

あなたには、油がなくなるという経験がありますか。車を走らせる時、ガソリンがきれるのを心配した事がありますか。ある時、家内と共に北海道の山をドライブに行きました。下を見ると燃料のランプが点滅していたのです。次の町は20キロ先で、山の峠の向こうでした。山の峠の一番高い所まで行く事が出来ましたら、燃料が無くても、山の下り道でしたら大丈夫だろうと私は思いました。しかし、その日は祭日でした。次の小さな町のガソリン・スタンドが開いていないだろうと思いました。しかしガソリン・スタンドが開いていたので、神様に感謝しました。無事に家に帰る事が出来ました。実は、山に入る前に、燃料があるとどうか確認したほうが良かったのです。愚かなおとめたちのように自分のランプの為に充分な油を持っていなかったと感じました。準備は大切です、この人生のものの為にも、永遠の命のもののためにもそうです。

イエス様は多くの例え話を語りました。世の終わりや最後の審判については少なくとも、6つぐらいの例え話を語りました。一つのテーマは、今日の福音書の最後の一節です。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。私達には、イエス様がいつ、この世に戻るか分かりません。イエス様の再臨が確かな事であり、突然こられるとはっきり語ります。ですから、私達がいつも準備していなければなりません。まず自分のランプの油を準備します、花婿(はなむこ)がいつ来るか分からないからです。これは例え話です。花婿とは、世の終わりに来られるイエス・キリストです。結婚式の披露宴とは、天国での生活です。十人のおとめとは神様の事を知って、天国に行きたいと思う人々です。油は何でしょうか。信仰でしょうか、知恵でしょうか、キリスト信者として生きる事でしょうか。知恵とは、イエス様の再臨を本当に信じて、この希望を持って毎日生きる事でしょう。しかし、その油を他の人と分かち合う事が出来ません。自分の信仰を他の人に与える事が出来ません。この例え話の細かい所を詳しく調べるよりも、この例え話の意味を見ましょう。婚宴の門が開かれたら、入る準備がすべて出来ていて、私達がその前に立つ事が必要です。もう準備のための時間が過ぎました。那覇空港の出発のロビーで、最後の出発前のコールの時、飛行機のドアがもう閉まってしまいましたら、あなたはもう遅いです。待ってくれ!切符があります!と叫んでもゲートの人は、すみません、遅いですと言います。この例え話の表現では、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と。この時あなたの切符はもう有効ではありません。

あなたのランプはどうでしょうか。油が充分でしょうか。神様との関係はどうでしょうか。準備していますか。イエス様は準備しなさいと言われます。花婿が来るよと言われます。花婿が来る前に、油を買いに行く時間を与えて下さいます。今日準備したら間に合います。ランプは点けぱなしにしましょう。心の中で聖霊が燃えている事を現しましょう。それで主を迎える準備が出来ています。

今日は全聖徒の主日です。自分の救い主としてイエス様を信じて死んだ人を覚る日です。言い換えますと、自分のランプの為に充分な油を持っていた賢い人達です。主は天国のドアを開けて、天国のお祝いに入れて下さいました。聖霊は彼らにその準備をする為の知恵を下さいました。聖霊は彼らに信仰を与えました。そして、聖霊の知恵で、その油の源が分かりました。即ち、神様を信じる信仰です。自分の人生の真夜中の時、心配しませんでした、花婿を迎える準備が出来ていたからです。その信仰が自分の人生の中で照らす炎や光のようでした。そのような人を見た事があります。私たちの知っているキリスト信者達の心や人生の中で、それを見た事がありますか。私は見た事があります。それで今日全聖徒の主日をお祝いします。

別の日、人が墓地に行って愛する人のお墓に花を置きます。しかし今日、教会で、祭壇の前でその人々を覚えます。最近、面白い記事を読みました。教会の牧師の為に書かれている雑誌をいつも読みます。ルーテル・フォラムという雑誌です。「豊かな死、豊かな命」という記事はお葬式の説教について話しました。その記事から読みたいと思います。

人生についての記事が続きました:

今日、私達は全聖徒の主日を覚えます。希望の日、信仰の日です。永遠の命の確信によって私達のランプをいっぱいにしましょう!光を照らしましょう!

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会


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