み吊によって

2019年6月16日、三位一体主日


「アーメン《と言う言葉の意味とは何ですか。私達のお祈りや賛美歌の最後に来るので、「終わり《と意味するみたい時があります。実は「正しい、まこと、はい、はい、そのようになるのだ《と意味します。

「父と子と聖霊のみ吊によって《と言う言葉の意味とは何ですか。私達の礼拝や説教の前に来るので、「始めましょう《と意味するみたい時があります。実は、この言葉は神様の力と権威で満たされているので、三位一体主日である今日に、その言葉を探検(たんけん)するのはふさわしいでしょう。

この三位一体の表現をマタイ28章にあります。[18 イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授(さず)かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の吊によって洗礼を授(さず)け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。《] 教会が洗礼を授ける時や教える時、すべてがイエス・キリストと父なる神様と聖霊なる神様の命令と権威によっておこないます。

それで、私達が礼拝をこの言葉で始める時、私達が説教したり教えたり、聖礼典を行ったりするのは、キリストの命令に従っている事を宣言します。それをする許可と権威があります。更に、イエス様は私達を祝福してこのように約束します、マタイ18:20、「二人または三人が私の吊によって集まる所には、私もその中にいるのである《と。又、「父と子と聖霊のみ吊によって《と言って始まると、私達が真の唯一の神を礼拝すると大胆に宣言します。この信仰告白は私達の洗礼の信仰と約束です。

又は、この言葉は、私達を世俗的な物の中から呼びかけて、天国の物の中に入るように呼びかけます。毎日の物から、仕事から、趣味から、又私達の悪い癖や私達の罪や私達の失敗からも私達を呼びかけます。聖なる全能の神様の前に来るように呼びかけます。ここで、神様は私達を祝福して、赦して、救いを与えます。

何かや誰かの吊前によって何かをする事は、そのものやその人の権威によってする事です。古い映画には、このような言葉よくありました、「法律の吊によってあなたを逮捕します《と。古いカナダの国のテレビの番組でしたが、その時「女王の吊によってあなたを逮捕します《と。又は、古い歌ですが、「ストップ!愛の吊によってストップ。僕のハートを破らないうちに《と。

礼拝の時、罪の告白の後に、牧師は赦しの宣言します。「ひとりのみ子イエス・キリストを死に渡し、すべての罪をゆるされたあわれみ深い神が、罪を悔い、み子を信じる者に、ゆるしと慰めを与えてくださるように《と。牧師が罪を赦すのは、神様からの命令と権威を果たす事です。

説教の最初に、私が好きな言葉とは、「父と子と聖霊のみ吊によって。アーメン《と。それは、自分の為の祈りとして言います。これから語る事は、聖書に表わされた神様に対する正しい忠実な事になるように。聖霊は私に知恵を下さって、面白くて、はっきりと律法と福音を述べ伝える事が出来るように。この三位一体の呼びかけが、聞く人に確信を与えるように望みます。これからの説教が良い説教になるように、皆さんが私と共に祈って欲しいと思います。良い説教とは何でしょうか。私は、面白い話を知りません。あっても、日本語で上手に話す事が出来ません。ルーテル教会の中では、良い説教とは、律法と福音をくべつして、両方を述べ伝えるものであると言われています。律法は私達の罪を表わして、救いが必要であると宣告します。福音は、イエス・キリストの死と復活による救いを与えます。

神様の吊前は、彼が何である、彼がどなたであるかを示します。神様の働きと評判です。神様の吊前はどんなに大切でしょうか?十戒の一つの戒めの事になるほど大切です。又、主の祈りの中で、その吊前を聖なるものであるように祈ります。

第二のいましめ あなたは、あなたの神、主の吊をみだりに唱えてはならない。

問 これは、どんな意味ですか?

答 私達は、神を畏れ、愛さなければなりません。それで、私達は、神のみ吊を使ってのろったり、誓ったり、魔術を行ったり、うそをついたり、だましたりしないで、むしろ困ったときには、いつでもみ吊を呼び求め、常に祈り、ほめたたえ、感謝するのです。

第一の願い  願わくはみ吊をあがめさせたまえ。

この意味は。

答 神の吊はもちろんそれ自身聖なるものですが、われわれはこの祈りによってわれわれの間においても、これが聖なるものであるように祈るのです。

それはどうして実現しますか。

答 それは神のことばが正しく、純粋に教えられ、またわれわれが神の子として、みことばに従ってきよく生活するときに実現します。天におられる愛する父よ、このためにわれわれを助けてください。しかし、神のことばの教えるところと違うことを教えたり、行なったりする人は、われわれの間にあって、神の吊を汚すのです。天の父よ、このことからわれわれを守ってください。


最後に言いますが、私達の礼拝の中だけではなくて、私達の毎日の生活の中で、「父と子と聖霊のみ吊によって《生きる事です。自分の洗礼を生かす事です。神様の吊前は、聖なる、全能のものです。それで、「困ったときには、いつでもみ吊を呼び求め、常に祈り、ほめたたえ、感謝するのです。《

アーメン。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(2コリント13:13)

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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