レントの説教シーリズ:受難週の出来事、
第4回目、聖水曜日マルコ14:1〜11、「何故?」

2015年3月15日




14:1 さて、過越祭と除酵祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、なんとか計略を用いてイエスを捕らえて殺そうと考えていた。14:2 彼らは、「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。
14:3 イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。14:4 そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。14:5 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
14:6 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。14:7 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。14:8 この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。14:9 はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
14:10 十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。14:11 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。



今日の質問とは、「何故」と言う言葉です。受難週の水曜日には、マルコの福音書で、3つのシーンがあります。そして、私が本当に聞きたいと思うのは、何故その出来事があったのだろうかと言う事です。どうしてユダヤ人達がイエス様を殺したかったでしょうか。どうしてユダがイエス様を裏切りたかったでしょうか。どうしてその女の人がその高価なナルドの香油をイエス様の頭に塗ったのでしょうか。

先ず、そのベタニアでの食事会を見ましょう。らい病の人シモンについて何も分かりませんが、確かに、以前イエス様に癒された人でしょう。マルコの福音書には、その女の人の名前が載っていませんが、ヨハネの福音書には、イエス様に甦らせたラザロの姉妹マリアです(ヨハネ12:3)。世界中の国によって、お客様に対するおもてなしの習慣が違います。日本の一つの好きな習慣とは、食事の前に、お客さんにお絞りを与える事です。手や顔を拭いて、フレッシュな気持ちにさせることです。昔のイスラエルでの習慣とは、ほっこりぽいサンダルを抜いだ足を洗う事です。しもべが洗う事もありました。そして、お客さんに香水を塗る習慣もありました。この最後のおもてなしは、今日の福音書のストーリです。その女の人はイエス様の頭をその高価なナルドの香油を塗りました。純粋で非常に高価なナルドの香油でした。石膏の石から彫(ほ)った壷に入れられて、その入り口が完全にシールでふさがれていました。それで、その壷を開ける方法は一つしかなかったのです。即ち、その壷を壊す事です。壊されましたら、ナルドの香油を再びその壷に入れる事が出来ないので、その香油を全部イエス様の頭に注ぎかけました。

弟子達のショックとは、そのナルドの香水の値段でした。三百デナリオン以上の価値で、一年間の賃金、300万円ぐらいでしょうか。一回だけで使って、香水の為にその代金を使う事を想像する事が出来ますか?彼女はかなり金持ちでしょうが、それにしても、私は弟子達と共に聞きます。「何故?」

14:4 そこにいた人の何人かが、憤慨(ふんがい)して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。14:5 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施(ほどこ)すことができたのに。」そして、彼女を厳(きび)しくとがめた。

今度イエス様は弟子達に「何故」と聞きます。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」彼女は良い事をしてくれたとイエス様は言われました。先ずイエス様の為に、素晴らしくて綺麗な事をしたからです。 それは、イエス様に対する彼女の愛と尊敬を現します。自分の信仰を表します。イエス様がどんなに価値のある方で、彼をどんなに大切に思うかを現します。次に言われるのは、それがイエス様のお葬式の準備だったと言われました。昔のイスラエルの習慣で、 体をほうむる時に、体と一緒に香料やスパイを入れました。しかし、イエス様が死んだのは金曜日の午後で、安息日が始まる直前でした。それで、香油や香料を買いに行く時間がありませんでした。イエスさまは近くにあったお墓に納められました。日曜日の朝にその習慣を守ろうと思いました。しかし、それをする前に、イエス様は復活しました。イエス様にはそのようになると分かりましたので、言われました、「つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬(まいそう)の準備をしてくれた。」と。

弟子達のショックがよく分かります、私もたまにケチだからです。それで、このストーリが教えるのは、貧しい人にもイエス様にも、気前が良くなる事です。 イエス様は私達に御自分の命の血を下さいました。私達はイエス様に何を与えたでしょうか。私たちに出来るのは、ただ私達の感謝と誉れと祈りだけです。

聖水曜日に、ユダヤ人がイエス様を逮捕する意志と、ユダのイエス様を裏切る意志が載っています。どうしてイエス様を殺したいでしょうか。どうしてユダ、12人弟子達の一人が、イエス様を裏切りたいと思うでしょうか。

総督(そうとく)ピラトはユダヤ人達がイエス様を殺したいと思ったのは、ねたみの為だろうと分かりました(マタイ27:18)。イエス様が人気者になりましたら、彼らが力を失うと心配だったのでしょう。しかし、彼らにとって、イエス様はそんなに大きな脅威、おどしでしょうか。彼らは聖書を信じるイスラエル人でした。それで、救い主メシアが来ましたら嬉しいはずです。メシアは旧約聖書の預言者たちによって約束された者です。メシアは神様の国をもたらします。多くの人々はイエス様がメシアの救い主であると見ました。それで「ホサナ」と歌いました。どうして、ユダヤの宗教の指導者達はそれが分からなかったのでしょうか。イエスさまが裁かれた時、イエス様を殺す正式な理由とは、イエス様はご自分がメシアである王と言われたからです。どうして彼らはイエス様が本当に救い主であると分からなかったでしょうか。それは罪の神秘です。それはサタンの働きでしょうか、それとも神様の働きでしょうか。もしサタンの業でしたら、イエス様が三日目に復活したので、サタンのプランは失敗でした。しかし勿論、神様の御計画で、旧約聖書の預言者に予言された事です。そして、イエス様が三日目に甦ったので、そのプランは成功でした。しかし、何故神様はそのようなプランを計画したでしょうか。多分、神様の愛の値段、その価値を現すでしょう。純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺よりはるかに越えて、御自分の独りの子の命を完全に与えて下さいました。その愛です。

そして、最後に、どうしてユダがイエス様を裏切ったでしょうか。私はそれを全然理解する事が出来ません。ユダがお金が欲しいと思いましても、銀貨三十枚は安すぎると思います(マタイ26:15)。銀貨三十枚は一月の賃金で、そのナルドの香油はその10倍の価値があります。では何故でしょうか。ユダはイエス様の事でがっかりして、失望し、イエス様の事をもう嫌いになったからでしょうか。また、自分が正しい事をすると思って、もしかしたら、イエス様を助けていると思ったでしょうか。  イエス様が御自分の死を予言したので、ユダはただイエス様の働きに刺激を与えようと思ったでしょうか。それはサタンの働きでしょうか、それとも神様の働きでしょうか。もしサタンの業でしたら、イエス様が三日目に復活して、罪人を地獄から救い出したので、サタンのプランが失敗になりました。神様の御計画でしたら、いや、それを私が全然想像する事が出来ません。どうして神様はそのような事をなさるでしょうか。ただ、神様はユダの業を止めさせなかっただけで、そのように世界の救いがもたらされました。私は思いますが、ユダの事でがっかりするのは、逮捕されて裁かれたイエス様を見た時、彼は自分の行為を後悔して、自分を殺したことです、もし彼が、3日後、イエス様の復活まで待ちましたら、イエス様はユダでさえも赦す事ができたのです。それが神様の赦しの力です。それで私達に信仰と希望があります。赦しの力の強さは、死人の復活の力の強さと同じです。壊された石膏(せっこう)の壺(つぼ)の中にナルドの香油を再び入れ帰す事が出来ないように、壊されたお墓が教えるのは、赦しと救いが私達から何も決して奪い去れる事が出来ない事です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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