良い雇い主の例え話

2014年9月21日


マタイ10:1−16

20:1 「天の国は次のようにたとえられる。ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、夜明けに出かけて行った。 20:2 主人は、一日につき一デナリオンの約束で、労働者をぶどう園に送った。 20:3 また、九時ごろ行ってみると、何もしないで広場に立っている人々がいたので、 20:4 『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。 20:5 それで、その人たちは出かけて行った。主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。 20:6 五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 20:7 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。

20:8 夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで順に賃金を払ってやりなさい』と言った。 20:9 そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、一デナリオンずつ受け取った。 20:10 最初に雇われた人たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思っていた。しかし、彼らも一デナリオンずつであった。 20:11 それで、受け取ると、主人に不平を言った。 20:12 『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、この連中とを同じ扱いにするとは。』 20:13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。 20:14 自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。 20:15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』

20:16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」  

今日の福音書の日課の最後に、イエス様はこのように言われました、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」それで、今日の説教の最初に、結論を言いましょう。それは、私達は自分の働きによって救われていません。むしろイエス様を信じる信仰に、神様の恵みによって救われています。私達がする事やしない事によって救われていないで、キリストが私達の為になさった、又今もなさる事によって救われています。それが結論であるので、どのようにその結論にいきついたか調べましょう。

今日の箇所の前の箇所では、イエス様は小さい子供を祝福しました。マタイ19:14−15、「『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』15 そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。」勿論、小さい子供や赤ちゃんが、自分の救いを得る為に何も出来ません。その後、ある若い金持ちがイエス様の所に来て聞きました、マタイ19:16、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」この人は律法をきれいに守る人だったので、またイエス様に聞きました、19:20、「まだ何か欠けているでしょうか。」イエス様はこのように答えました、19:21、「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」続けて読みます、10:22−24、「19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。19:23 イエスは弟子たちに言われた。『はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。19:24 重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』」人々は、自分がする事によって天国に行けると思います。その理由は、この世界で成功する為に、よく働くように教えられているからです。しかし、天の国とこの世の国とは違います。それで、イエス様は今日の例え話を話しました。

マタイ20:1−16。ぶどう園とは神の国です。家の主人とはイエス・キリストです。働く人とは、キリストによって呼びかけられたクリスチャンです。ぶどう園で働く事とは、キリストに従う人の毎日の活動です。一日中、12時間を働く人とは、子供時代からキリスト信者のようで、一時間だけ働く人とは、死ぬ直前にクリスチャンになって洗礼を受ける人のようです。夕方になる事とは世の終わりです。賃金の一デナリオンとは救いで、永遠の命です。

ぶどう園とは神の国です。その国はどこにあるかと言いますと、それは、神様が王様である所です。キリスト信者は、イエス様を自分の主と救い主と王として信じて受け入れますので、その人はどこに行っても、キリストがその人の人生を支配します。それで、神の国がどこにあるかと言いますと、それはキリスト信者がいる所です。それは教会の中にも、家にも、学校にも、仕事場にも、海辺のビーチにも、レストランにも、飲み場にも、ボーリング所にも、暗い道にもなど。クリスチャンがいる所は神様のぶどう園です。そして、そのような所で働くように、神様が一人一人のクリスチャンに呼びかけます。それは教会学校を教える事や伝道する事やほかの教会の活動に限られていません。キリスト者の人生全部が、収穫の主の為に働く事です。ゴミを出す事、おむつを取り替える事、戦争の訓練の場、バードワッチングなど、そのほかすべて、神様が私たちにして欲しいと思われること事です。罪を犯す事は別に神様に奉仕する事ではありませんが、しかし私たちの罪が赦されているので、サラリーから引かれていません。賃金全部をもらいます、即ち、救いの一枚のデナリオンです。

永遠の命を得る為に、一枚のデナリオンの救いが充分です。私達が、例え、ほかの人より長く御国の中で働いても、永遠の命のデナリオンの2枚や3枚が要りません。何故なれば数学的に言いますと、無限の永遠かける2は永遠です。{∞x2=∞。}長く働く人の考えは、天国での良い住まい、広いマンションを得る事だろうと思うかも知れません。今日の聖書日課の次の聖書の箇所には、ゼベダイの息子たちの母、ヨハネとヤコブの母が、イエス様の所に来て、自分の息子達が神の国で、特別偉い席につくことが出来るように、イエス様にお願いしました。イエス様は彼女の願いを断りました。何故ならば、神の国は人間の国やその政府と違うからです。他の人を支配する偉い力よりも、奉仕が大切です。一番偉い者とは、一番他の人に奉仕する人です。マタイ20:28でイエス様が言われたようです、「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

それで、神の国のぶどう園の中で、一番よく、長く働いたのはどなたでしょうか。「一日、暑い中を辛抱して働いた」のはどなたでしょうか。世の罪を辛抱したのはどなたでしょうか。十字架上で苦しんだのはどなたでしょうか。私達をサタンの奴隷状態から私達を救い出す為に、地獄に下ったのはどなたでしょうか。頂いたデナリオンとは3日目の復活です。その復活のデナリオンには無限の価値がありますので、救いと永遠の命を私達すべてに与えます。金や銀ではなくて、私達の為に与えた御自分の尊い体と流された血です。私達の働きの為の賃金ではなくて、神様の気前の良い、自由な贈り物です。

私は何年間、神様のぶどう園の中で働いているかと思いました。しかし、何時間も、木の陰の下で昼寝をしてしまったと分かってきました。仕事中で遊んだ事は皆にあるでしょう。それで、私は完全に神様の気前の良さに頼らなければなりません。あなたは、いつイエス様の為に働き始めたでしょうか。人生の中で、いつイエス様はぶどう園の中で働くように、呼びかけたでしょうか。いつその呼びかけに返事したでしょうか。今日、イエス様は再びあなたに呼びかけます。聖霊は福音によってあなたに呼びかけます。ある時、その働きは汗と涙ばかりです。ある時、その働きは喜びと愛です。しかし、いつも奉仕です。神様の為の奉仕とほかの人の為の奉仕です。自分の救いを得る為に働かないで、もう既に永遠の命が与えられているのです。それで、自由とパラダイスの希望があります。

結論として、この説教の最初の所をもう一度言いましょう。それは、私達が自分の働きによって救われていないで、かえって、イエス様を信じる信仰に、神様の恵みによって救われています。私達がする事やしない事によって救われていないで、キリストが私達の為になさった、又今もなさる事によって救われています。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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