赦す信仰

2016年10月2日


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ルカ7:1-10

 1 イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。2 そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。3 あなたがたも気をつけなさい。  もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。4 一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
 5 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、
 6 主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
 7 あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。8 むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。9 命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。10 あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
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「私の信仰を増してください」 と祈った事がありますか。ほとんどのクリスチャン達は、少なくても一度このように祈った事があるでしょう。イエス・キリストが自分の救い主であると信じますので、救われる信仰がありますが、人生の問題が私達を攻撃する時、神様の愛と約束を信頼する為の力と確信が必要です。大きいチャレンジがある時、神様の助けが必要です。

そのもっと大きい信仰があれば、何をするでしょうか。桑の木を海の中に植えるでしょうか。山を動かすでしょうか。そのような仕事の為に信仰が必要ありません:シャベルやブルドザーが必要です。人間にとって不可能な事の為に信仰を使いましょう。兄弟を7回赦す為に使いましょう。

それをする為にイエス様の使徒達は信仰を増やすように願いました。山を動かす為にではなくて、山ほど大きな罪を動かす為でした。他の人を赦す事が難しいです。特に、7回や何回も何回も同じ無礼な行動を繰り返す時です。それを赦す為に、信仰を始め、愛と忍耐と聖霊の力が必要です。  

それなのに、イエス様は赦す事が簡単であると言われます。必要なのは、ただ極goku小さい信仰、からし種一粒ほどで充分です。そしてイエス様を自分の救い主として信じる人には、もう既にそれより大きな信仰があります。兄弟姉妹を7回も赦す事が出来るのは、イエス様が十字架上で死ぬ時、私達の数え切りない罪を赦して下さったからです。

桑の木を海の中に投げる事のように、海の中に罪を投げる事がふさわしいです、何故ならば、それが洗礼の海でしたら、その海に溺(おぼ)れる事は、赦しと永遠の命の復活になるからです。

今日の福音書の1節では、12人は「弟子」と呼ばれ、5節では「使徒」と呼ばれています。弟子は生徒で、使徒は宣教の働きに送られた人です。その働きとは、十字架上でのイエス様の働きを述べ伝える事です。すなわち、罪の赦しを告げる事です。それは、ただ、赦しについて話す事だけではなくて、実際にキリストの御名によって罪を赦す事です。福音が述べ伝えられて信じられている時、罪が神様に赦されています。又、他の人の交わりの中で私達が人生を送る時、個人的な無礼と誤りと罪があります。ですから、私達の心の中には、神様の赦しと同じような個人的な赦しもあります。それは主の祈りの中で願う事です。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」使徒、教会、すべてのキリスト信者、あなたと私の働きとは、罪を赦す事です。

キリスト教会のシンボルとは、十字架です。十字架とは、赦しのシンボルです。復活した日の夕方、イエス様は弟子達に現れて、彼らに罪を赦す命令、権利と力を与えました。ヨハネ20:21-23。

『21 イエスは言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。23 だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」』 私達一人一人には、万人祭司のメンバーであるので、罪を赦す為に、同じ命令と権利と力があります。即ち、キリストの十字架を述べ伝える事です。それは、ただ、クリスチャンとして活きる事です。

大きなミッソン、大きなチャレンジですが、それをする時、私達は素晴らしい事をしますが、誇(ほこ)ってはいけません。私達は言います、『私どもは取(と)るに足(た)りない僕です。しなければならない事をしただけです』と。大きい事をしませんでした。  からし種一粒ほどの信仰しかありませんでした。イエス様は、十字架上でその大きな事をして下さいましたからです。

ハレルヤ!アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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