信仰の旅

2008年6月8日
ローマ4:13−25 (マタイ9:9−13)

ローマ4:13−25BR> 4:13 神はアブラハムやその子孫に世界を受け継がせることを約束されたが、その約束は、律法に基づいてではなく、信仰による義に基づいてなされたのです。 4:14 律法に頼る者が世界を受け継ぐのであれば、信仰はもはや無意味であり、約束は廃止されたことになります。4:15 実に、律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違犯もありません。
4:16 従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。 4:17 「わたしはあなたを多くの民の父と定めた」と書いてあるとおりです。死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、その御前でわたしたちの父となったのです。4:18 彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて、信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と言われていたとおりに、多くの民の父となりました。4:19 そのころ彼は、およそ百歳になっていて、既に自分の体が衰えており、そして妻サラの体も子を宿せないと知りながらも、その信仰が弱まりはしませんでした。4:20 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。4:21 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと、確信していたのです。4:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。4:23 しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、4:24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。4:25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

信仰の旅

約200年前、私の母の先祖は南ドイツから南ロシア、黒海のクリミア半島に移動しました。その時のロシアの皇帝(こうてい)カトリナはドイツの農家をその地域の開墾(かいこん)、発展のために招待しました。私の先祖はその約100年後、ロシアからアメリカの南ダコタ州に引っ越しました。土地が安く、そこで安全に家族を育てることが出来ると考えたからです。父の先祖は、ドイツから、イギリス、スコットランド、アイルランドを通って、インディアナ州から南ダコタに来ました。希望と夢をもって来ました。もしかしたら、アブラハムと同じように彼らも神様によってまねかれていたでしょうか。神様はアブラハムがウルと言う所からハランと言う所へ、そしてハランからカナンと言う所に行くように言われました。その所に住むように呼びました。神様はアブラハムに2つの事を約束しました:1つ目は、アブラハムの子孫が、夜の空の星の数のように、海辺の砂の数のように増える事、そして、2つ目は、その子孫が住む為に言われている「約束の地」のパレスチナの土地を与える事です。

アブラハムには、本当に多くの子孫がありました。彼は「多くの民の父」になりました。息子のイサクによってイスラエルの国の父になり、息子のイシマエルによって多くのアラブの国の父になりました。約束された地はその子孫に与えられたのですが、時代によって、この4千年に土地のサイズや土地の指導者が変りました。神様はアブラハムへの約束を守りました。そして、聖書によりますと、アブラハムはいつも神様の約束を信じました。自分や自分の妻はかなり年を取っていても、たとえ息子がまだいなくても、神様の約束を信じました。後で、自分に与えられた息子を犠牲にするように命令されている時でも、アブラハムは神様の約束を信じました。神様は約束した事が出来、それを必ず実行すると信じました。約束を信じる事は「信仰」と言います。この信仰の為に「それが彼の義と認められた」のです。その義があったので、神様との関係は正しかったです。それで彼に救いと永遠の命がありました。

このローマの信者達への手紙の中で聖パウロが言いたいと思うのは、神様がアブラハムを義と定められたのは、彼の信仰だけによってです。彼が律法を守っていたからではありません。モーセの律法は、アブラハムが死んで約5百年後に与えられたものでしたので、アブラハムはそのモーセの律法によって裁かれる事がありません。ただ、神様への信仰のみによって裁かれていた事です。

私達はアブラハムのようです。私達が裁かれているのは、モーセの律法によってではなくて、神様への信仰のみによってです。聖パウロは言います、「4:22 だからまた、それが彼の義と認められたわけです。4:23 しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、アブラハムのためだけに記されているのでなく、4:24 わたしたちのためにも記されているのです。わたしたちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。4:25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。」言い換えますと、神様が私達に約束されているものは、子孫や土地ではありません。約束されているのは、イエス・キリストによる復活と永遠の命です。この約束が私達に与えられたのは、私達がその律法を守ったからではなくて、それを破ったからです。私達は神様の律法を破りました、モーセの律法、愛の規定、人間の社会の法律などなどを破りました。モーセの律法の正式的な規定がなくても、私達は罪を犯します。しかし、私達が罪を犯したので、神様の御前で完全な者ではないので、ぜんぜん違う方法で私達は義とされています。イエス様は私達の罪の為に死んで下さって、「私達が義とされるために復活させられたのです。」私達と神様との関係を良くする為にイエス様が甦られました。この関係は、「信仰」や「信頼」や「神様の約束を信じる事」と呼ばれています。

これはどんな意味ですか?私達がアブラハムのようであると意味します。神様は私達を呼んで、私達は神様を信頼します。私達は神様のご計画が分からないかも知れません。「なぜ」とか「どうやって」と聞くでしょう。私達はすぐに答えを見つけられないとき、ただ神様を信頼しなければなりません。即ち、信仰を持つ事が必要です。私達はアブラハムのように、新しい人生をスタートするように命令を受けるかも知れません。又、マタイのように、古い仕事を後にしてキリストの為に働くように招命を受けるかも知れません。また、私達が今いる所は神様の選ばれている所でしたら、いつも神様を信頼し続ける事になります。

私達の人生全体は信仰の旅です。私達の目的地とは天国です。しかし、旅をする時、旅の経験の一部はその道路です。乗り物は楽しい、綺麗な景色を楽しんで、神様に感謝します。今いる友達や家族の為に感謝します。私達は信仰によって歩きます。いつも神様を信頼します。イエス様がいつも私達と共にいるので心配がありません。聖霊がいつも私達と共にいるので、罪の故に滅びる恐れがありませんし、絶望がありません。賛美歌と祈りは私達の信仰の声になります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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