律法に従うか福音によって生きるか

2020年2月16日   顕現節第6主日


福音書:マタイ5:21*37

5:21 「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。 5:22 しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。 5:23 だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、 5:24 その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。 5:25 あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。 5:26 はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。《

5:27 「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。 5:28 しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。 5:29 もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。 5:30 もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。《

5:31 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。 5:32 しかし、わたしは言っておく。上法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。《

5:33 「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。 5:34 しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。 5:35 地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。 5:36 また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。 5:37 あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。《





十戒を守る事は、根本的に言うと簡単です。1.私達はイエス様を自分の唯一の救い主と信じます。2.悪い言葉を話しません。3.教会に行ったり、家で祈ったりします。 4.親達や指導者をうやまいます。又、自分が親や指導する人でしたら、その受ける尊敬を受ける為に働きます。 5.人を殺した事がありません。 6.自分のつれあいに忠実にし、他の人の人権を守ります。7.物を盗みません。8.正直に話して、上便なときもそうです。9.良い仕事をしますし、他の人の商売を助けます。[これは第9の戒めの一つの理解です。] 10.他の戒めを破る誘惑を避けます。

そして、イエス様は、十戒を守るのを難しくしました。イエス様は、私達の目で見える行動だけではなくて、私達の心の状態にも関心を持ちます。例えば、今日の福音書では、侮辱は、心の中で他の人に傷をつけたり、その人を苦しめたりし、いやその人を殺したいと思う事です。情欲は、心で結婚の絆を破りたいと思う事です。離婚は、結婚の約束を破ってその縁を破る事です。偽証や嘘は、心の中の罪を表し、罪深い関係を表します。もし心が清ければ、私達の評判も清いので、人々が私達を信じて信頼しますので、ただの “yes” か “no” だけで十分です。

旧約聖書の中には、十戒のほかには多くの律法があります。それは元の十戒を守る為です。そして、その上に、ユダヤ人のラビ先生は、多くのほかの規定を作りました。神様の律法を守る為に作ったのです。イエス様と弟子達はこれらの規定をいつも守らなかったので、問題になりました。例えば、手を洗う事や安息日に人を癒す事などです。

人を助ける為にラビ達の働きを続けて、マルチン・ルターは彼の小教理問答書を書きました。十戒を守る為に、してはいけない事もした方が良い事を書きました。クリスチャンとしての生き方を教えます。

今日の福音書の日課の直前の節で、イエス様はこのように言われました:マタイ5:20「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。《その律法学者やファリサイ派の人々は厳しかったです。私達はなおさらに厳しくならなければなりません。マルチン・ルターも厳しい言葉を書きました。イエス様が言われたように、私達のクリスチャンの生活は、私達のする行動だけではなくて、私達が言ったり、考えたり、感じたりする事も大切です。イエス様が要求する義は厳しいです。しかし、100%清い心と100%正しい行動は上可能です。私達が住んでいる世は、誘惑と暴力で満たされているからです。又、神様の十戒を守ろうと思わないという人が私達を迫害します。このようなハラスメントと問題の為に、私達は罪に陥れます。しかし、私達は、自分が良い、この世や他の人が悪いと言えません。私達も罪人であるからです。

それでイエス様の言葉は私達を殺します。「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。《それで、自分の義に頼りましたら、私達は天国に行く事が出来ません。

ですから、完全に神様の義に頼らなければなりません。これが福音です。ヨハネ3書16節です。「3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。《3書17節はこのように説明します:「3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。《又、このように言い換えるでしょう。『神様はこの堕落した世を愛しましたが、この世が決して完全にならないとご存知だったので、救い主を送りました。この救い主が私達を赦して神様との正しい関係ーー即ち、義**を与える事が出来ると信じる事は、永遠の命を与えます。』神様はイエス様をこの罪深い、悪に堕落した世に送りました。怒りによってこの世を滅ぼす為にではなくて、愛を持ってこの世を赦して新しくする為です。裁かれた時も十字架上にいる時にも、イエス様に対する世の怒りと憎しみと嘘と偽証がありました。裁判にかけられて、十字架上の死に定められました。怒りをもって人々はイエス様を殺しました。

イエス様は彼らをも私達をも赦しました。その義は律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっています。神様の義は正しい事をします。それは救いです。

それで、私達クリスチャンの為に、十戒には新しい意味があります、新しい力があります。まず、どのようにイエス様がこの戒めを守るか教えます。1.彼は唯一の正しい神です。2.祈りの為に、御自分の吊前と権威を私達に下さいます。3.私達の礼拝を祝福します。[マタイ18:20, “二人または三人がわたしの吊によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。”] 4.彼の天の父との愛はすべての父と子供の愛の模範になります。5.彼の死と復活によって、私達に新しい命を与えます。6.教会が『キリストの嫁』と呼ばれています。キリストと私達とにある特別な親しい愛を表します。7.私達に天国の宝を与えます:永遠の命と救いです。8.イエス様は福音を述べ伝えた忠実な証人になりました。9.イエス様は私達に永遠の遺産をあたえます。10.神様を信頼しますので、「日々の糧《での満足を教えます。

小教理問答書には、それぞれの戒めの説明はこの言葉で始まります:「私達は、神を畏れ、愛さなければなりません。《例えば、第五のいましめです:

「あなたは、殺してはならない(出エジプト20.13)

問 これは、どんな意味ですか?

答 私達は、神を畏れ、愛さなければなりません。それで、私達は、隣人のからだを傷つけたり、苦しめたりしないで、むしろあらゆる困難の場合に隣人を助け、励ますのです。《

言い換えますと、義務ではなくて、自由です。しなければならない事ではなくて、しても良い事です。恐ろしいおどしよりも、愛の自由です。隣人を助けても良い、他の人を尊敬しても、正直に話しても良いです。

これは福音の義です。イエス・キリストから与えられた自由です。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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