"私達の贈り物: 黄金、乳香、没薬"

顕現主日2007年1月7日
マタイ2:11

  • イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

博士達がイエス様を訪ねた時、贈り物を持って来ました:黄金、乳香と没薬でした。私達がイエス様を訪ねる時、どんな贈り物を持って行くでしょうか。博士達のように、私達の黄金、乳香と没薬の贈り物にしましょう。

その3つのギフトは、キリストの3重の任務である働きを表すそうです。小教理問答書で学んだように、そのキリストの3重の任務とは、預言者、祭司と王様です。黄金は王様の為、乳香は祭司の為、そして、没薬は死ぬ預言者の為です。

王様に黄金のギフトをあげる事とは、これがただのプレゼントではないことを表します。それは忠誠のしるしです。私達がキリストに私達の黄金をあげる時、ただの献金袋にいれるお金ではありません。この献金はキリストに対する忠誠を表し、イエス・キリストが自分の王様でるという信仰告白のシンボルになります。ですから私達は子供たちにも教会で献金をする事を勧めます。大人になる時の献金の習慣を身につけるための手段だけではありません。たとえそれがお母さんがくれたお金でしても、献金する動作は信仰の告白です。マルコの福音書の話があります。貧しいやもめが神殿の賽銭箱にとっても小さいレプトン貨二枚を入れました。(マルコ12:41-44)。彼女の持っている物をすべて献金したので、イエス様は彼女をほめました。それは彼女の信仰のしるしで、彼女の持っている全てのもののために王様である神様を信頼する証でした。私達の黄金は自分の信仰とキリストに対する忠誠のしるしです。

現代のキリスト教会では、香をたく事があまりありません。旧約聖書時代では、毎日神殿で祭司は香をたきました。祈りの時に使いました。その煙が空にのぼるのと同じように、人々の祈りが天にいる神様の所にのぼりました。聖書には、香は祭司によって使われた物でした。博士達が乳香を赤ちゃんイエス様にあげる時、このキリストは自分達の祭司であり、このキリストが自分達の為に父なる神様に祈る事という信仰を表します。香は祈りのしるしです。私達がキリストにささげる乳香とは、私達の祈りです。私達には煙を必要としません、私達の祈りが天国にいる神様に届くと分かるからです。子供のキリストに贈る私達の贈り物は、私達の祈りです。「祈りをささげる」と言う表現を使う理由とは、私達が自分の祈りを神様に捧げるからです。ささげものです。自分の為にも、愛する人々の為にも、全ての人の為に祈ります。

没薬は子供の為には変な贈り物です。没薬とは、スパイスの一種です。昔のエジプトでは、死者をミイラにするとき、その体を保存する為に使いました。又、薬として、体を無感覚にし, まひさせる効果がありました。そして、とってもニガイものです。博士達がこのギフトをイエス様にあげると、イエス様が殺されることの予言でした。十字架上にいる時、兵士達はイエス様に没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかったのです。(マルコ15:23)。イエス様はもう既にニガイ苦しみの杯を受けたのですし、世の罪の為の罰を受ける為の痛みを小さくしようと思いませんでした。しかし、イエス様が葬られた時、没薬と沈香の香料を添えて亜麻布で包んでいました(ヨハネ19:39)イエス様は預言者として死んでいたのは、預言者として神様の御言葉を述べ伝えていたからです。その御言葉とは、愛と赦しの福音でした。神様の御言葉を述べ伝えていたから、苦しみを受けました。イエス様のニガイ苦しみはニガイ没薬のようです。私達の罪がイエス様にその没薬を与えます。私達のイエス様に与える没薬の贈り物とは、自分の罪を告白して、その罪をイエス様に載せる時です。その時、私達は、犠牲として死んで下さったキリストから赦しをいただきます。

イエス様が私達の預言者、祭司と王様であると告白します。ですから、自分が持っている宝をささげます。私達の忠実さ、私達の祈りと私達の信仰をささげます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会

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