「勇気があるチッケン」

受難節第2主日、2007年3月4日
ルカ13:31−35

31 ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」

32 イエスは言われた。「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』とわたしが言ったと伝えなさい。33 だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。34 エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。35 見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決してわたしを見ることがない。」

「勇気があるチッケン」

イエス様は良い羊飼いであり、私達はその群れの羊です。私達を羊の囲kakoいに集めて、泥棒や狼から私達を守ってくださいます。私達のイエス様との関係を表すためにとてもきれいな例えです。良い羊飼いとして、羊である私達が生きる事が出来るために、ご自分の命を捨ててくださいました。私達が救われる為に、十字架上で死んでくださいました。

今日の福音書の日課の中では、イエス様を描egaく異なった描写(びょうしゃ)があります。34節で言われました、「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」神様が、自分の雛hinaを自分の翼tsubasaの下で守るお母さんの鶏niwatoriのように、考えた事がありますか。雛が庭を駆け回っていますが、危険が来ると、雌鳥mendoriが鳴いて警報を鳴らすので、雛は走ってきてお母さんの翼の下、羽の中に自分を隠kakuす事が出来ます。鋭surudoいくちばしを使って、近よってくるネコや犬と戦います。自分の雛を守る時、鳥は恐ろしいほど戦います。私の散歩の時、烏karasuにも海のカモメにも襲osoわれたことがあります。それは、鳥の巣の近くを歩いた時です。鳥が私を狙neraって、鋭いくちばしで鳴いて、鋭いかきつめを持って飛びかかります。私はその巣のある所からすぐ逃げます。めん鳥は同じ程度自分の雛を守ると思います。イエス様も、そのようにして私達を守って下さいます。私達はイエス様の雛、イエス様の尊い子供です。

問題とは、小さな雛達は、かき回す事が好きです。自分のお母さんの翼の下に長くいたくありません。それで、古い英語の表現の元々の意味があります、即ち、「お母さんの翼の下から出る」事です。小さな雛には、見たい大きな世界があります:ネコはどのものでしょうか、自分で戦ってみたいと思います。私達と同じでしょう。時々、私達はイエス様の守って下さる翼の下にいると、息をすることができないように感じます。イエス様の律法と規定と十戒の為に、この世界をエンジョイすることが出来ないみたいです。教会は私達の息を殺す雌鳥みたいです。 私達は、イエス様がエルサレムの町について話した事と同じです。「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」 かれらは応ouじようと思いませんでした。守ってもらいたくありませんでした。救われる事もねがいませんでした。旧約聖書の預言者達がエルサレムで石で打ち殺された事があります。預言者達は神様の御言葉を述べ伝えて民を守りたいと思いました。しかし、人々は彼らの言うことを聞こうと思いませんでした、同じように、イエス様の言うことも聞きたくありませんでした。自分の救い主を殺そうと思いました。私達がイエス様を信じたくない時、彼の翼の下に守ってもらいたくない時、私達はその人々と同じです。例えば、聖書の語る言葉に聞かない時、聖礼典を受けないときです。それは預言者達を石で打ち殺す事と同じです。イエス様を十字架に付ける事です。

どうしてイエス様がご自分をめん鳥に例えたかと言いますと、たぶん、先にヘロデを狐に例えたからでしょう。イエス様の時代のパレスチナ地方の本当に危ない野生の動物とは、ライオン、クマ、とオオカミでした。ヘロデはただキツネのようでした。ヘロデは政治的に力強い者ではありませんでしたが、それなのに、恐ろしい時がありました。狐は野生の動物です。被害higaiをくわえる事が出来ます。古い表現ですが、「鶏の小屋の中の狐」と。狐は鶏の小屋に入りますと、鶏を何羽も殺す事が出来ます、きつねにとってはただ殺すための遊びです。鳥を全然食べないで殺す事があります。ヘロデは、そのようなもったいない殺人者です。ですから、この狐であるヘロデの前で、イエス様は、自分の翼の下の雛を集めるめん鳥のようになります。たとえ、狐がそのめん鳥を殺しても、雛は、その体の下に守られて安全です。ヘロデはイエス様を殺したいと思いました。後で、ピラトはそれをします。イエス様は十字架上で殺されます。しかし、イエス様の広く伸ばされた手の下で隠れ家を見つけた私達は安全です。

本当のことを言うと、イエス様を殺したのは、ヘロデでもないし、ピラトでもないし、ユダヤ人たちでもありません。それは悪魔でした。イエス様が弱く、自分を守る事が出来ないもの、「狙neraいやすい人の」ように思いました。しかし、イエス様は犠牲でした。3日目に甦られた犠牲でした。復活して、彼を信じる人々に癒しと命を与えます。

イエス様が私達に警報を鳴らす時、彼の守りの翼の下に行きましょう。イエス様の愛と恵みは、やわらかい羽haneのようです。あなたの隠れる所はどこですか。教会、聖書、友達、祈りでしょうか。

最後に、ちょっと脱線しますが、この話が、イースターの卵に新しい意味を与えるでしょうか。私達はその卵です。私達はイエス様の復活によって新しい命を得る雛です。かごに集められた事は、神の御国に集められた事のようでしょう。

アーメン。

マイケル・ニアフッド牧師
沖縄ルーテル教会

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