「わたしは道であり、真理であり、命である。」


全聖徒主日2016年11月6日




ヨハネ14:1-14
14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。14:2 わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。14:4 わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」14:5 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」14:6 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。

今日の午後は、沖縄ルーテル教会の墓地献堂式です。23年前からの計画が出来上がりましたので、嬉しくて神様に感謝します。式の中で、説教の時間を取りましたが、外でしますので、よく聞く事が出来ないので、今の午前中の礼拝でその説教をしようと思います。そして、丁度全聖徒主日にふさわしいテーマです。

墓地に書かれている聖書の言葉はイエス様の言葉です。イエス様はいわれました、「わたしは道であり、真理であり、命である。」




★ このテーマで、三つぐらいの説教をする事が出来るでしょう。
★ 先ず、「道であるイエス様。」
★ そして来週は「真理であるキリスト。」
★ そして次の週は「命であるキリスト」です。
★ まとめると、ひとつの説教で、「命への誠の道であるイエス様」。
★ 又、「誠の命への道であるキリスト」
★ や「誠の生き方であるイエス様」。
★ 又、「真理の生き方」。
★ 「正直な人生の道」です。
★ 又は、「誠の命への誠の道を表すイエス様」。

イエス様は最後の晩餐の時に弟子達に話しました。その時から起こる事の為に弟子達の心を準備しようと思いました。イエス様が逮捕され、裁かれ、十字架につけられます。そして、復活して、天に昇って、聖霊を送ります。最後の晩餐の時、弟子達にはよく分かりませんでした。今日、私達がよく理解出来るのは、私達はその出来事がどのようになったかを知っているからです。しかし、イエス様の話を理解する為に、一生懸命にした弟子達と同じように、私達も、私達自身の為に、イエス様の話を理解する為に一生懸命に努力します。それで私達は、その最後の晩餐の言葉を読んで、私達の信仰は強くなります。

イエス様は弟子達に話しました、「14:2 私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。14:3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。」 弟子のトマスはイエス様がどこに行くか分かりませんでした、

どのようにイエス様の話を理解しましょうか。それは、イエス様は御自分の死と復活、と同時に、御自分の昇天と再臨について話していると思います。何故ならば、死んで甦られなければ、救いも天の住まいもありません。ですから、弟子達の為に場所を用意する第一歩とは、十字架上で死ぬ事です。それは、天国への道の第一歩です。世の罪を赦す事が出来るのは、イエス様だけです。ですから、イエス様だけが命への誠の道です。彼は道です。ですから、福音の言葉、その約束は確かなもので、真理です。ですから、イエス様の死と復活には、救いがあります。

イエス様は言われました、14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。」私達は神様を信じる時、私達は命への真理の道を歩いています。不信仰の心は神様の道を歩こうと思いません。それは、イエス様が永遠の命の道であると信じないからです。ある人はイエス様や福音を全然知りません。それで、私達は彼らをキリストに導く必要があります。そのような道路標識は伝道や証しと呼ばれています。

一度、この道に入ったクリスチャンの一つの問題とは、その道を続けて歩く事です。道から離れたり、迷ったりします。又、ちょっと罪の誘惑にまけて、遠まわりをして、あと戻りします。私はこの道に戻る事は、信仰の力だと思います。私達はいつも狭くて真っすぐな道を歩みません。しかし、私達はイエス様を信じるので、いつも正しい生き方に戻りたいと思います。ルーテル教会の中の神学的な表現と言いますと、“simul justus et pecator, 同時に罪人であり聖徒です。” 私達はトマスとフィリポのようです。私達はイエス様の話を理解する事が出来ません。神様の律法が分かりません。神様のやり方が分かりません。神様の御計画の細かい所を知りません。しかし、自分の人生の計画を神様がいないように立てましたら、それは天国への道になりません。

しかし、、イエス様は弟子達に言われました、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」その信仰は私達のコンパスと地図になります。私達の人生はイエス様に従って、誠の命への道を歩みます。

それで、クリスチャンの墓地は、ただ死のしるしだけではなくて、信仰と希望と永遠の命の慰めの徴です。

アーメン。








2016年11月6日  墓地の献堂式、墓地の現場での話し。

お墓が必要でしょうか。はい、必要です!

1. 私達の愛された死んだ人とのつなぎがあります。
2. 私達は彼らの愛を覚えて、自分の人生のもうはんになります。
3. お墓は、その愛する人への愛と感謝のしるしになります。
4. 私達はイエス様の十字架を見ると分かるのは、彼らが死んでも、天国でイエス様と共に生きている事です。これは大きな慰めです。
5. イエス様の御言葉を読みますと、いつか、私達も永遠の命をもってイエス様と共にいると分かります。それで、今の人生の争いと恐れと痛みの中に、希望が与えられています。
6. 今日、この綺麗な岩石で作られたお墓を見ますと、神様の約束が、なお更に、強くて綺麗と分かります。
7. 最後に、クリスチャンのお墓は、キリストの再臨に目がさめる時までの休む所です。ですから、私達の毎日の人生が強い信仰と希望で満たされています。
アーメン。








マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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