イエス様のキャンペイン

2016年1月24日

福音書  ルカ4:16~32(新107)
4:16 イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。 17 預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
4:18 「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、4:19 主の恵みの年を告げるためである。」 20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。 21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
4:22 皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
4:23 イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」 4:24 そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。 4:25 確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、 4:26 エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。 4:27 また、預言者エリシャの時代に、イスラエルにはらい病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」
4:28 これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、 4:29 総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。 4:30 しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。 4:31 イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。 4:32 人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。

今日の福音書の日課で、イエス様は御自分の公の宣教(せんきょう)の働きを始めました。。場所は、御自分の古里、ナザレでした。イザヤ書61章から読みまして、このように宣言しました、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と。この箇所がイエス様のこれからの働きを教えたからです。

今年のアメリカは、次の大統領選挙の為の政治的なキャンペインがあります。全国で、州の州長、町の市長、町や郡の指導者、などなどの選挙(せんきょ)です。この全ての候補者(こうほしゃ)がスピーチをします。その演説で、かれらは選ばれたら、何をするかを言います。全てが幸せにするように約束します。

イエス様の働きが分かる為に、その働きを政治の選挙のキャンペインに比べたいと思います。イエス様は政治的な指導者として来られませんでしたが、その時代には、宗教と政治にはしたしい関係がありました。現代的な自由の国の反対に、その時、国と教会を区別しませんでした。それよりも、国の責任者達は、自分の義務や責任は、国民の為に宗教を建て、支える事でした。ヨーロッパで、プロテスタントの宗教改革時代までそうでした。今も、ある近東のアラブの国に、国の指導者は宗教の指導者であるので、その地方の戦争の原因の一つになります。

イエス様が、何かの政治の仕事を得るキャンペインをしなかったのは、彼は生まれた時からもう既にキリスト、メシアで、ダビデの家系のイスラエルの王であったからです。しかし、イエス様は人々にその事を教えて、人々が彼を受け入れるように話す必要がありました。これは選挙ではないので、イエス様の為に一票を入れませんが、イエス様が救い主であると信じて、彼の福音のメッセージを信じる必要がありました。

イエス様の就任式は、ヨルダン川で洗礼を受けた時でした。宣誓式(せんせいしき)は荒れ野にいる時、悪魔に誘惑された時、このように言われた時です。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(ルカ4:8)。

政治家は演説(えんぜつ)します。皆さんの人生を幸せになる為の、自分の希望と考えと計画を話します。アメリカでしたら、アメリカ国民が独立宣言と憲法の理想(りそう)に忠実に生きるように呼びかけます。自由と正義と公平について話します。

イエス様も自由と正義と公平について話しました。預言者イザヤも同じ事を語りました。ルカ4:18-19、
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/
捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

これはイエス様の宣教の働きです。十字架上の死によって、奴隷と不正義と不公平の罪を赦しました。福音は社会的な新しい規定を造りません。むしろ、律法が前から要求した事にする力を与えます。

福音を信じる事とは、自分の人生の中で福音を生かし働かす事です。何かを信じると、あなたはその理想によって生きるのです。例えば、ある橋が十分丈夫であると思いましたら、それを渡るでしょう。子供はお父さんが自分をキャッチすると思いましたら、高い所からその腕の中に飛び込むでしょう。信仰はそのようなものです。法律の力を信じましたら法律を守ります。テレビのC.M.を信じましたら、その商品を買います。自由主義を信じましたら、自分が自由に生きるし、他の人も自由に生きるように助けます。福音を信じましたら、その福音の力によって生きるのです。福音とは、神様の愛やイエス・キリストによる赦しについての良い知らせです。福音を信じましたら、その愛と赦しが自分の人生の一部になります。それが自分の生き方になります。福音は人を愛して人を赦す力です。

いつも、私達の国の指導者や地域の指導者の為に、絶えず祈る必要があります。国民の100%の支援を受ける事が少ないです。ぎりぎり勝利を得る時、国民の47%がまだ反対の心を持っているので、政府の動きを邪魔するように頑張ります。何故かと言いますと、ある時、その反対する人々は、自分の為に力とコントロルを欲しいと思いましたら、ある時、自分が大切にするものを失うと恐れるからです。

イエス様に反対する人もいました。自分が大切にする事を失う可能性があるので恐れました。自分達がイスラエルの国の支配を失うと思いました。しかしイスラエルの国と神様の国は違います。神様の国はイスラエルより大きいです。神様の本当の支配圏(しはいけん)は全世界です。イエス様は言われました、「私の国はこの世に属していない」と。そうでしたら神様の国はどのものかを私達に考えさせます。と言うのは天地創造の時から、神様はこの世界を支配していないのでしょうか。神様がその後にどこに行ってしまったのでしょうか。しかし実は、人間の方が神様の支配を自分達の人生の中に受け入れなかったからでしょう。人々は自分の創造主を否定しました。この世界の本当の王様を否定して、自分が作った遇像(ぐうぞう)を礼拝して従っているからでしょう。金属(きんぞく)や石で出来た遇像があります。お金や権力(けんりょく)や遊びの遇像があります。力がある魅力的な人がいます。その人は自分を信じる人たちを支配します。遇像のように、ある人々がその魅力のある人を信じて従います。哲学や何々主義も偶像のようになります。又、自分自身を遇像にする事があります。自分が宇宙の中心的な点であると思います。すべてを自分の好きなようにしたいと思います。このすべての遇像や国には、実は、一つだけの王様がいます。即ち悪魔です。サタンの国が地獄と呼ばれます。

イエス様は地獄からの自由を告げました。即ち、自由と正義と公平を宣告しました。罪からの自由を告げました。十字架によって来るものを告げました。

しかし、選挙のような投票がありました。イエス様が逮捕された時、裁かれた時、ユダヤ人の会議は、彼を殺すように投票をしました。ユダヤ人のサンヘドリンは宗教の団体であるので、宗教的な理由で彼を裁きました。即ち、自分が神様のキリストであると言ったので、それが神様を冒涜する罪だと裁きました。しかし、ローマの政治的な総督はピラトの前で、政治的な宣告を出さなければなりません。即ち、イエス様がローマの皇帝カイザーに対する反乱者である事です。即ち、彼はユダヤ人の王である事です。勿論、イエス様は本当にそうでしたが、ローマはそれを認める事が出来ないので、十字架に付けました。いばらの冠を受けました。王座は十字架でした。十字架で頭の上に「これはユダヤ人の王である」と書かれていました。そして十字架上にいる時、イエス様と悔い改めた泥棒の会話がありました、ルカ23:42-43、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

信仰によって、私達はイエス様の為に一票を入れます。それをするのは、私達の洗礼式、堅信式、信仰告白をする時です。献金袋に供え物を入れる時も、選挙の一票を入れる事のようでしょうか?私達はキリストの宣教の働きを支えます。それで、今日、私達はイエス様と同じメッセージを述べ伝えます。その同じ自由と正義と公平を告げる事です。言葉によっても業によってもそれをします。それで、私達は、私達の永遠の指導者である救い主である、イエス・キリストに従って生きるのです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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