「これらの骨は生き返ることができるか《

2018年5月20日、ペンテコステ、聖霊降臨日

エゼキエル書37:1―14

37:1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。37:2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。

37:3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。《わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。《

37:4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。37:5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。37:6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。《37:7 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。37:8 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。37:9 主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。《

37:10 わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。

37:11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。

37:12 それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。37:13 わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。37:14 また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる《と主は言われる。





預言者エゼキエルは、枯{か}れた骨でいっぱい谷の幻を見ました。旧約聖書の幻は、新約聖書のイエス様の例え話しのようです。エゼキエルの幻は、未来への文字通りの出来事、また文字どおりの予言ではなくて、むしろ絵画的に神様について語る方法です。主なる神様はエゼキエルに聞きました、「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。《勿論、出来ません、再び生き返る希望がありません。戦争で負けた兵隊の遺骨で、殺されていて、荒れ野にそのまま残されて、完全に乾{かわ}ききっています。この骨は生きる事が出来ませんが、預言者に分かることは、主なる神様には何でも可能なことです。それでこのように答えました、「主なる神よ、あなたのみがご存じです。《 神様は言われた、「これらの骨に向かって預言しなさい。《預言者がそうしますと、 「見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った」。しかし、まだ生きていませんでした。その中に霊がなかったからです。主はエゼキエルに言われました。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。《と。エゼキエルは命じられたように預言しました、すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立ったーー彼らは非常に大きな集団となったのです。そして、神様はこの例え話しのような幻を説明して下さいました。その骨はイスラエルの民のようです。イスラエルの民はもう死んで、希望がないように枯れてしまったと感じます。イスラエルの民は、エルサレムから捕らえられてバビロンに連れてこられてバビロンに住んでいました。愛するカナンの故郷は永遠に失われてしまい、国民としても民族としても、もうすぐ死んでしまうだろう。神様の約束の地に帰る希望が無い。エルサレムがかんりゃくし負けた。神殿が破壊されて、民族として全滅される為に捕囚となりました。もう、神様の選民ーー選ばれた民として残る希望がありません。その枯れた骨のようでした。しかし、主なる神様には、異なった考えがありました。神様は以前から契約をイスラエルと結びました。ご自分の選ばれた民を約束の地に戻らせます。それをする時、それはまるで、死からの復活のようです。人々は新しい命、新しい息、新しい霊、希望で満たされます。

その枯れた骨の幻を見る時、私達は、その荒れ野の中に自分の枯れた骨を見るかも知れません。自分の人生に希望がない時、自分が骨まで完全に枯れてしまったみたいです。年を取った人々は、実際に自分の骨は枯れて壊れやすく、折れやすいと思うかも知れません。もしも希望なしに死ぬと思いましたら、彼らはもう既に、その荒れ野の骨のようです。若い人も、骨までの渇きを感じる事が出来ます。将来への希望が無い時、就職への希望が無い時、恋人を得られないとき、幸せへの希望が無い時、彼らはもう既に死んでいると感じるかも知れません。体に肉と皮膚があっても、希望が無いと、本当に生きていないような感じです。

自分が枯れてしまった感じの理由の一つとは、涙がもうないからです。人生の悲しみと寂しさと痛みと惜しみと失敗と間違えが、私達の体力を奪う事が出来ます。恐れは私達を乾かします。体に対する危険や心に対する危険もあります。過去の間違いと犯罪と罪の結果を恐れます。それで、人をも神様をも地獄をも恐れます。

エゼキエルが見た谷の中の骨ほど、自分が枯れていると思う時、もう生きる価値か意味があるかどうか考えるかも知れません。自殺を考えるかも知れません。そして、こんなんに乾きと失望がある時、主なる神様がエゼキエルに話された言葉を聖霊は私達に話して下さいます。

主はエゼキエルに言われました、「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。《この霊は福音の言葉です。私達に命の息、命の霊があるのは、イエス・キリストによってその命が私達に与えられているからです。イエス様が十字架に付けられた時、頭の上に、「これはユダヤ人の王である《と書かれていました。これは、弟子達の希望でした。即ち、イエス様が彼らを救ってくれるメシアである希望でした。しかし、イエス様が殺されて、彼らの希望も殺されました。殺されて、古い骨のようにお墓の中に入れられました。「これらの骨は生き返ることができるか。《これは悪魔の侮辱の声です。そして、最初の人・アダムを創造する時と同じように、神様はイエス様に命の息を吹き込まれて、イエス様を甦らされました。イエス様は再び生きる者となりました。この同じ息が私達にも希望と命を下さいます。

私達が自分の周りを見ると、枯れた骨の谷しか見えないかも知れません。 この世、自分の家族、私達の教会を見て、「希望があるでしょうか、この骨は生き返る事が出来るでしょうか」と聞くかも知れません。人間的に言うと、「イイエ、決して出来ない」と答えます。しかし、主なる神様が「この骨は生き返る事が出来るでしょうか《と聞きましたら、神様は私たちに信仰の答えを要求しています。即ち、「主よ、あなたには出来ない事がありません、あなたには、希望があります」と。

今日はペンテコステです。生まれたばかりの教会は、イースターの50日目の日曜日の朝、集まりました。確かに、このように祈ったでしょう、「私達は生きれるでしょうか。生き残って、愛と赦しと永遠の救いの福音を宣べ伝え事が出来るでしょうか。希望があるでしょうか。《 その時、聖霊は彼らの枯れている骨の中に、息を吹き込みまして、彼らの信仰と希望を新しくしました。ペテロとほかの弟子達は、イエス・キリストの福音を宣べ伝えて言われました、「主の吊を呼び求める者は皆、救われる。《その日、3000人の人々が洗礼を受けました、彼らの霊的な骨は、もう枯れていません。聖霊は彼らに希望を下さいました。

今日、3人の青年が堅信礼を受けます。彼らが告白するのは、自分達の信仰が枯れているものではなくて、生きているものである事です。この信仰告白によって、私達の教会にも、世界中の教会にも希望を与えます:信仰が生きている事です。聖霊は、力強い風のように、私達に命の息を吹き込んで下さいます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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