鳥

2017年1月1日

新年明けましておめでとうございます。

2017年は鳥年です。それで、聖書の中にある鳥を見て、私達のイエス・キリストによる救いとの関係を見たいと思いました。聖書の中の二つの鳥だけについて話したいと思います。一つは、洗礼を受けた時、イエス様の上に降りて来た鳩です。しかし、最初に見たいのは、聖金曜日の朝に泣いた鶏です。

その鶏が鳴いた時、ペトロは涙を流しました。何故ならば、イエス様が予言した通りに、ペテロはイエス様を否定したと分かったからです。
マタイ26:73-75、[26:73 しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」74 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。75 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。]

この聖書の話しは、ペトロだけではなくて、私達のための話です。その鶏が思い起こすのは、私達も、イエス様を否定した事がある事です。それは、私達の生き方、私達の罪や恐れや不信頼からです。自分の信仰を証ししなかった事があれば、クリスチャン的ではないものに信頼と確信を置いた事もあります。その鶏は、神様の律法の宣告です。その理由とは、十戒の一つや二つの戒めを破った事だけではありません~~~そうでしたら、その可哀想な鶏が一日中鳴くでしょう。私達は飛ぶ事が出来ない鳥のようです。この世のものから飛んで逃げる事が出来ません。鶏が鳴きます。私達の罪を思い起こさせます。私達には無力さを思い起こさせます。私達の心の中で恐れを起こさせます。その恐れとは、2017年も、以前と同じように、否定と惜しみと裏切りの一年になる事です。それは、神の御言葉がする事です。私達の心に話して、私達に宣告して、そして、私達は自分の誤りを認めるので、自分が自分を宣告する裁判官になります。鶏が[十字架につけよ!十字架につけよ!]と鳴きます。「その罪人を十字架につけよ」と鳴きます。そして、十字架上に書かれた名前は、私達の名前です。そして、悪魔である昔のハゲワシが私達の滅びの為に勝利を持って声高く鳴きます。

しかし、キリストと共に死にましたら、キリストと共に甦ります。又、キリストが私達と共に死にましたら、私達はキリストと共に甦ります。2017年にそれを忘れないようにしましょう。聖霊はこの信仰に導いて下さって、私達の信仰を守って下さいます。聖霊は洗礼を受けた時にイエス様の上に鳩の形のように降りて来られたと同じように、毎日私達の上に下って、私達の罪を赦して、新しい命を与えて、飛ぶ羽を与えて下さいます。それで、古い罪や以前の年の恐れから飛んで逃げます。聖霊が私達と共にいますので、この新しい年の新しい問題を飛んで通す事が出来ます。ノアの鳩が、平和をあらわす新鮮なオリブの若枝を箱舟まで唇にくわえて持って来たように、聖霊は私達に希望を与えますので、心の中で信仰を起こし、人生の中の平和を与えます。これはイエス・キリストの御言葉と約束です。

2017年は、ルーテル宗教改革の500周年です。それで、二つの鳥について話したいと思います、ガンと白鳥です。マルチン・ルターの100年前に、プラハの所には改革者ヨハン・フスがいました。彼は、その民の国語で神の言葉を使いたいし、教会の悪い行いを反対しました。しかし、ローマ法王は彼を止めさせようと思いました。フスを死刑に宣告して、柱に付けて彼を燃やして殺しました。「フス」と言う名前の意味とは、日本語で鳥の「ガン」です。死刑にされるちょっと前に、彼はこの表現を予言しました、「この『ガン』を焼いても、後で神様は白鳥を送る」と。ルターはその白鳥になったと思われています。ルターは、はっきり神様の律法と福音の言葉、呪いと約束を述べました。そして、鶏が鳴くように、神様の民を起こして、その誤りと罪の完全な真理の知識について鳴きました。そして、ペトロのように、自分の罪を分かって悔い改める人に、ルターは、甘い福音を述べました、即ち、聖霊が完全な赦しをもって来る事です。私達は自分で自分を救う事が出来ませんが、私達の信仰はキリストの救いを受け入れます。それは、私達の洗礼の鳩です。この平和と希望は、この新しい年に、導きと喜びと守りを下さいます。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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