飼い葉おけで #3、ヨセフ

今日飼い葉おけでいたヨセフを見ましょう。ヨセフは、イエス様の母になったマリアの婚約者で、夫でした。イエス様の誕生を告げる為に天使ガブリエルは直接マリアのところに来ましたのですが、主の天使は夢の中でヨセフに現れました。一回だけではなくて、4回でした。

先ず、ヨセフはひそかにマリアとの縁を切ろうと思いました。マリアの子供は自分の子供ではないからです。それでマタイ1:20でこのように読みます、「1:20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと吊付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』《力強い夢でした。ヨセフはこれが神様からのメッセージであると悟りました。それで、正しい事をする勇気を与えました。この子はメシアになると教えられました。特別な吊前がありました、「イエス様《でした。その吊前は「主は救う《と意味します。それで天使が説明しました、「この子は自分の民を罪から救うからである《と。

二つ目の夢は博士達の訪れの後でした。ヘロデ王はその子を殺そうと思いました。マタイ2:13、「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』《

3度目と4度目は、ヘロデ王が死んだ後です。マタイ2:19*23、「19 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20 言った。『起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。』21 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23 ナザレという町に行って住んだ。『彼はナザレの人と呼ばれる』と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。《

このようにして、主なる神様はヨセフと話しました。それで、ヨセフは子供のキリストを守って育ちました。

旧約聖書には、ヨセフと吊づけられたもう一人がいました。彼にも夢や夢を解釈する賜物ギフトがありました。若い時、夢の中で、星や麦の束が自分の前にひれ伏しました。それは、家族がいつか、自分の前にひれ伏すといみしました。それで、10人の兄さん達の怒りと嫉妬がありました。数年後、エジプトでの牢屋の中で,ファロの僕たちの夢を解釈しました。そして、ファロの夢も解釈しました。7年間の豊作harvest の後に7年間の飢饉が来ると意味しました。このようにして、ひどい飢饉の時、ヨセフは自分の家族、即ち、ヤコブの家族を救い出しました。

主の天使は、あなたに夢の中で話した事がありますか?神様が自分に何かを教えようと思われていると感じた事がありますか?多くの人はこのような事を経験した事があります。霊感や預言やただのアイディアだけでしょう。神様から来たか、ただ自分の考えか想像でしょうか、それとも、悪魔からのものでしょうか。それが本当に神様から来たものであるかどうか、どのように分かるでしょうか。聖書によって裁きます、特に十戒や主の祈りです。神様はそのものによって私達に話します。それが私達の夢や想像より確信できるものです。しかし、私達の夢や心は、私達の悪い良心から来る教えかもしれません。それで自分の罪や恥を感じるでしょう。神様の意志を果たしたくない、又神様の意思を恐れる事を表わすでしょう。私達の上信仰や上信頼を表わすでしょう。悪夢でしょうか。

ヨセフの話は、神様の私達に対する希望を分かる時、私達に正しい事をする勇気を与えます。はっきりしているプロジェクトがなくても、私達は神様の意志を知ります。それは、十戒、山上の説教、主の祈り、偉大なる宣教の命令の中にあります。飼い葉おけでいるように教えられています、即ち、イエス様の所にいるように教えられています。そこにいなければ、私達は迷っています。

聖書とは、神様が人間とコミュニケーションをする本です。時々、夢はただ希望かあこがれと考えています。しかし、イエス様はご自分の夢を話す為に来られませんでした。イエス様は神の御言葉をはっきり述べ伝えました。言われました、「神の国は近づいた《と。イエス様が王になったのは、十字架上で茨の冠を受けた時です。これは天使がヨセフに言った言葉の成就です、「1:21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと吊付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。《

イエス様は飼い葉おけの中に留まりませんでした、同じように、十字架上にもお墓の中にもとどまりませんでした。しかし、世の終わりまでに私達と共にいるように約束しました。それこそは、「1:22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためでした。1:23 『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その吊はインマヌエルと呼ばれる。』この吊は、「神は我々と共におられる《という意味である《のです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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