私達と共にいるイエス様

昇天主日、2010年5月16日
使徒1:1−11,エペソ1:15−23

復活祭からの何日かを数えたら、先週の木曜日で40日目になります。 使徒行伝1:3によりますと、その日にイエス様は、弟子達をエルサレムからオリーブ山まで連れて行き、そこから天に昇りました。今日私達は、このイエス様の生涯の大切な日をおぼえてお祝いします。教会のカレンダーには、イエス様の生涯の出来事を記念します:イエス様の降誕、宣教、苦しみと死、復活、昇天、そして再臨です。その最後の再臨はまだ起こっていませんが、私達は待ち望んでいます。イエス様の生涯の全てに於いて、私達が記念するのは、その歴史上の出来事だけではなくて、その神学的な意味もおぼえます。即ち、私達の神様との関係に対する意味です。イエス様は素晴らしい目的を持ってこの事をしました。即ち、私達を罪から救い出して、私達を神様の友達にし、私達に永遠の救いを与えました。イエス様の昇天の場合もそうです。今日、どうしてそれが私達の為に大切か調べましょう。

3年間ぐらい、イエス様は弟子達と共にいて、彼らを教えたり、宣教の働きの為に訓練しました。彼らは弟子で、彼は先生でした。見習いと主人のようでしょう。勉強しながら、仕事をしながら学ぶ良い教育方法です。教会の中でも素晴らしい方法です。イエス様の12弟子達は先生であるイエス様のやり方をよく見て、そして、最後にエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、イエス様の証人となって、全ての国々に福音を述べ伝える仕事をするための準備が出来ていました。弟子達の卒後式、又、就任式もです。

しかし、3年間、いつも一緒にいましたので、主人である先生が去ってしまいますと、弟子達は淋しいでしょう。しかし、イエス様は新しい先生になる聖霊を送るように約束しました。そして、この聖霊は全世界の福音伝道の為の力をあたえます。

主の昇天について、もう一つの大切な事があります。エペソ1:20−22はイエス様の新しい住所を教えます。父なる神様の右にいる事です。その意味とは、イエス様はもう、この地上に物質的に存在しないで天国にいます。それは、彼が私達と共にいないと意味しないで、代えって、今度彼には、素晴らしい力と権威(けんい)があるので、私達がどこにいても、私達と共にいる事です。エペソ1:20−23を読みます、「1:20 神はその力をキリストのうちに働かせて、彼を死人の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右に座せしめ、1:21 彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。1:22 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。1:23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」それは、イエス様は全能の神様だからです!

イエス様はどこにいますか。天国で神の右に座しています。しかし、私達が聞きたい答えは違います。「イエス様はどこですか」と言う時、実に言うのは、イエス様が今、ここに私たちといるように願っている事です。同じように、「テレビのチャネル・チェンジャーはどこですか」と聞く時と同じです。即ち、今必要ですので、今手の中に欲しいと思います。ですから、「イエス様はどこですか」と聞く時、イエス様の臨在(りんざい)が今、必要であるので、イエス様が今ここにいるように願います。ある時、私達の人生は淋しくて、又、助けて下さる者がいないようです。イエス様が弟子達と同じように、私達の所に来られて、直接に私達に話したら「いいな」と思います。イエス様が来て私達の為に奇跡を行ったり、癒しをしたりしましたら「いいな」と思います。問題がある時、イエス様の臨在の証拠、私達と共にいる事を啓示する事を見たら「いいな」と思います。イエス様が私達の信仰を強くして欲しいと思います。

イエス様を見つけたいと思いますか。先ず、御言葉の中で見つけられます。聖書にはイエス様がいつも、世の終わりまで私達と共にいるというメッセジーがあります(マタイ28:20)。詩編50:15は言います、「悩みの日に私を呼べ、わたしはあなたを助け、あなたは私をあがめるであろう。」マタイ18:20でイエス様は言われます、「ふたりまたは三人が、私の名によって集まっている所には、私もその中にいるのである。」祈りと礼拝の為に集まると、イエス様が私達と共にいます。ですから、御言葉が読まれたり、語ったり、歌われたりする所には、イエス様がいます。イエス様は、丁度今、丁度ここに私達と共にいます。ですから、私達はなお更に彼を礼拝します!ですから、祈る時、確信があります。彼がここにいて、私たちの祈りを聞くからです。そして、イエス様が私達の歌と祈りを聞く為にわざわざ私達の小さな交わりに来ましたら、私達の祈りに答えて下さるでしょう!その為に私達と共にいます!その為にイエス様はわざわざ天から降りて、この地上で苦しみを受け、十字架上で死にました。彼は本当に私達の事について関心を持ちます。私達を大事にして、私達の罪を赦して、永遠に私達と共にいます!

イエス様は、3年間ぐらいいつも弟子達と共にいました。同じように私達と共にいましたら素晴らしいでしょう! 「どうしてイエス様が去ってしまったか」と。「私達皆に平等(びようどう)に近くにいる事が出来る為です」。 それについて考えますと、私達の近くにいる為にイエス様は天国に行ってしまいました、私達皆の近くにいる為です。イエス様はもう物質的な身体で制限されていないし、パレスチナ地方に限られていません。たったの12人の弟子だけに限られていません。全能の神様で、私達皆の近くにいる事が出来ます。彼は御言葉によって来ます。私達は彼を捜すとき、探す前でも、彼はもう既に私達を見つけました!私達は御言葉を読む時、私達は学生である弟子のようになって、彼は先生の主人になり、そして、イエス様は人生の意味を教えます。人生の意味とは、私達が主イエス・キリストと共にいて、主を礼拝する事です。そして、最高の礼拝とは、罪の赦しを受け入れる事です、何故ならば、その時、私達の救い主を私達の為になさった事を認めて、感謝して、拝むからです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド
沖縄ルーテル教会牧師


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