“上”はどこ?

2008年4月27日

子供に「イエス様はどこですか」と聞きましたら、「天国にいます」と答えるでしょう。大人に聞きますと、いろいろの答えが来るでしょう。イエス様は私の心の中にいます。イエス様はすべての所にいます。天国にいます。私には分かりません。存在しないので、イエス様はどこにもいません。などなどです。キリスト信者に聞きますと、その人の経験や神学的な勉強から来る答えがあるでしょう。私に聞きましたら、このように答えます。イエス様は私の心の中にいるので、私の祈りを聞く事が出来ます。と同時に、天国にいるので、全世界、全宇宙を見て支配します。と。

今日、イエス様の昇天を記念します。甦られたイエス様は、40日間弟子達と共にいました。この間、神の国について話して下さいました。又、聖書の預言を説明しました。それは、イエス様の死と復活を預言したからです、又、キリストによる悔い改めと罪の赦しを全世界に述べ伝える必要について言われました。弟子達はイエス様の出来事の証し人です。そして、復活後40日目、イエス様は弟子達をエルサレムからベタニア、即ちオリブ山まで連れて行きました。弟子達を祝福して、彼らを離れ、天に上げられました。天使が教えました。この同じイエス様は天から地上に戻ってこられますと。弟子達はエルサレムに帰りました。彼らは喜びを持って、神殿で神様を礼拝して、聖霊の来臨を待ち望みました。

イエス様の昇天は、彼の住所(じゅしょ)の変化だけではありません。使徒信条やエペソ1:20が言うように、イエス様は父なる神様の右に座ります。これは、天国の家具や王座の位置について話していません。イエス様には、力と権威(けんい)があると意味します:地上にも、全宇宙にも支配する権威があります。以前、イエス様はこの地上にいる時、体を持っていたのでその権威は限られていましたが、今は、場所や時間に全然制限されていません。しばらくの間、イエス様は謙遜(けんそん)を持って人間の形になりました。 母マリアから生まれ、のどの乾きやお腹の空腹を覚え、不正義を経験し、痛みと死を苦しみ、復活も経験しました。この全部は神様の愛を表す為でした。あわれみを持って、神様はご自分の上に私達の痛みと死を受けました。そして、十字架上で、私達の罪をも、御自分の上に取って、ご自分の死によって、その罪を破壊(はかい)しました。私達を赦す為に、又、父なる神様の近くになる為に、甦りました。イエス様が昇天しますと、人間の赤ちゃんとして生まれた方は、本当に神の子であった事を表します。イエス様の苦しみと死にはすばらしい目的がありました。それは、私達の救いの為でした。私達を愛して下さいますので、これらのことをして下さいました。そして、この全能の救い主には、本当に、私達の祈りを聞いて、本当に私達に永遠の命を与える事が出来ると分かります。

イエス様が天に上げられた時、最初弟子達は淋しかったでしょう。イエス様は彼らに全世界に福音を述べ伝える働きを与えましたが、彼らの先生がいないと、自分達にそれが出来るかどうか不安を感じたでしょう。私達も、イエス様が自分の近くにいないと感じましたら、不安になり、困るでしょう。イエス様に直接に話して、人生の問題の為の指導を受けたいと思うでしょう。しかし、御自分が去って行かれた方が良いとイエス様は言われました。それは、聖霊を送るからです。そして、昇天して、10日後、ペンテコステの日に、聖霊の力を受けて、弟子達は与えられた働きを始めたのです。昇天されたイエス様は私達にも同じミッションを与えます。私達も、イエス様がなさった事を述べ伝えます。イエス様の死と復活を宣言します。そして、その死と復活の意味をも教えます、即ち、キリストによって私達には罪の赦しがある事です。そして、罪の赦しがある所には、永遠の命と救いもあります。ただそれを聞く事で、キリスト信者には喜びがあります。昇天されて、父の右に座っておられるイエス・キリストは、あなたと私が、私達の救いの為に喜んで欲しいと思います。

天使は弟子達に言いました、「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」悲しまないで、淋しくならないで。イエス・キリストが戻るまで、人生の為への希望と意味があります。最後の晩餐の時、イエス様は弟子達に話しました。自分の死と復活について話して、自分の昇天と再臨についても話しました。弟子達の為に淋しいでしょうが、このように言われました、「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。」ヨハネ14:18-19。私達がイエス様の再臨を待ち望みます。その間、私達は何をしましょうか。それは、イエス様が最後の晩餐の時弟子達に命じた事と同じです。即ち、イエス様の「掟(おきて)を守る」事です。その掟とは、神様を愛する戒め、隣人を愛する戒め、又、お互いに愛し合う戒めです。言い変えますと、洗礼を受け神様の子供としての人生を送る事です。

淋しい時、イエス様からの指導を探す時、どこを見たら良いですか。天の方に、目を上の方に上げたら良いでしょうか。しかし、「上」はどこでしょうか。この場合には、「上」は方向よりも、けんそんの事です。神様より低いものを見てはいけません。上を見て、回りを見て、聖書の中を見ましょう。そこはイエス様がいらしゃる所です。それは、私達が自分に与えられたミッションを見つける所です。そして、イエス様は私達のそばにいると分かります。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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