キリストはどこですか?

昇天主日
2007年5月20日

キリストはどこですか?この質問はもう何千年前から聞かれていました。昔の旧約聖書時代には、人々が困った時に、「キリストはどこですか?私達の救い主になる約束されているメシアはどこですか」と聞きました。そして、イエス様がベツレヘムで産まれた時、東から来た博士達は尋ねました、「ユダヤ人の王はどこですか?キリストはどこですか?」と。そして、イエス様が大人になった時、人々はキリストを探して「キリストはどこですか?」と聞きました。ヨルダン川のバプテスマのヨハネはキリストでしょうか。それとも、ガラリヤ湖のナザレのイエスはキリストでしょうか。その奇跡をする人はキリストでしょうか。その福音を教える先生はキリストでしょうか。十字架上で苦しんで死ぬ人はキリストでしょうか。人々の質問にはっきり答えてくれた出来事とは、イエス様の復活でした。甦られたイエス様を見たトマスは言いました、「わが主よ、わか神よ。」「わがキリスト、わがメシヤ、わが救い主よ!」

そして、イースターの40日目に、イエス様は天に昇りました。弟子達の目の前で、空に上がって、雲の中で見えなくなりました。その時、キリストはどこですか?今、今日も、キリストはどこですか?

4つの答えを考えましょう:

そして、ファイナル・アンサーは、全部が正解です。何故ならば、キリストは全能の神様であるのです。

普通に言うのは、クリスマスの時に、イエス様は天国から出て、この地上に生まれで、そして、昇天の時、この地上から出て、天国に帰ったと言います。天国には、父なる神様の右に座ります。その地位から、地上のすべての人々の祈りを聞く事が出来、困った人を助ける事が出来ます。そして、同時に、キリストがいつも私達と共にいます。世の終わりまでに私達と共にいます。そして、特別の方法で、聖餐式の時、キリストが私達と共にいます。これは、クリスチャンにとっては、大きな慰めと力です。即ち、キリストが、私達がどこにいましても、どの場合でも、私達と共にいると分かる事です。

私が使っているデボーションの本があります。キリストの昇天日のデボーションには、昔の教会の有名な学者、アウグスチヌス(AD354-430年)の説教から引用しました。この昔の素晴らしい先生の言葉をちょっと読みたいと思います。

キリストはどこですか?一番良い答えが簡単だと思います。「キリストは天国にいます」と。何故ならば、天国は神様がいる所だからです。では、「天国はどこですか」と聞きましたら、「天国は神様がいるどこでもです」と答えます。そして、もしキリストが私達と共にいましたら、私達は天国にいます ーー ただし、世の終わりの時のキリストの再臨までに完全になりません。ですから、すべてのキリスト信者はもう既に天国にいると言えるでしょうが、特に、もう既にキリストを信じて死んだ人々は天国にいます。

ところで、死んだ人々を記念する儀式は「昇天者の記念礼拝」と言いますが、神様がこの人を天国に呼ばれたので、「招天者の記念礼拝」と言いましたらはどうでしょうかと私は思います。

キリストはどこですか?これはいつも学問的な質問ではありません。この苦しみと悲しみの多い罪深い世にいるので、困った時、絶望の時に、この質問を聞きます。「キリストよ、あなたはどこですか?私の苦しみと悲しみを見ませんか。この世界の苦しみを見ませんか。」十字架上のイエス様の言葉のようになります、「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てになったのですか?」しかし、私達が困った時でしても、キリストは私達を見捨てる訳ではありません。決して見捨てないように約束して下さいました。しかし、試みや罪の時、私達はキリストを見る事が出来ないかも知れません。その時、「キリストはどこですか?」と言う言葉は祈りの言葉になります、即ち、「主、イエス・キリストよ、あなたが私の救い主である事を見せたり、感じさせたり、悟らせたりして下さい。」天国で全能の力を持つキリストには、力と愛があるので、私達の所に来て、私達と共にいる事が出来ます。

キリストはどこですか?どこにもいます。水一杯が必要とするのどが渇いている人と共にいますし、食べさせる事が必要とする人と共にいますし、助けが必要とする弱い人と共にいますし、洋服が必要とする人、淋しい人と共にいますし、愛が必要とする人と共にいます。又、子供の誕生を祝う人々と共にいますし、洗礼の再び生まれる時に祝う人々と共にいますし、すべての祝いの中にいます。

キリストの昇天主日で、キリストが天国に行ってしまった事をお祝いしないで、代えって、素晴らしい愛と恵みをもって、キリストがいつも私達の所に来られる事をお祝いします。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会

ニアフッド牧師の説教